なぜ一覧にして調べてみたか
200年以上人気の温泉地に行ってみると昔の雰囲気も味わうこともできるのではないか。
温泉番付(諸国温泉功能鑑)は、刊行年がわかるものでは文化14年(1817年)の版が最も古く、元の版は1812年ごろまでさかのぼるとみられています。
そんな昔から人気の温泉ということは、現在の深いところからくみ上げる方式ではなく、自然に湧き出ている温泉ということもあり、効能もあり風情ある温泉街もあり、古き良き日本の風景に出会えるはず!
昔の温泉番付の表示では現在のどこの温泉を示しているのかわかりづらいので、現在の場所の一覧を調べて一覧にするとともに、Google MAPへ表記させてどのあたりにあるのか一目で分かるようにしてみました。
今後温泉番付(諸国温泉功能鑑)で紹介されている現在の温泉街へ訪問しどういった場所なのか紹介していきます。
概要
ここで紹介する温泉番付(諸国温泉功能鑑)はウィキペディア(Wikipedia)に紹介されている江戸時代後期1817年(文化14年)をもとに紹介させていただきます。
昔の名前の一覧となっているため、今のどこの温泉地を指示しているのかわかりづらいため、表で一覧にすると主にGoogle MAPを利用して全国のどの場所にあるのかわかりやすいように表示するようにしました。
場所を地図で表記(行きやすい場所など一目瞭然)
地図上の温泉マークをクリックすると、番付・昔の名前と現在の温泉地の名称・住所が表記されます。
温泉番付はどうやって生まれたか──番付前夜の江戸温泉文化
江戸の町では、相撲の番付をまねて名物・名所・役者などを東西に分けて格付けする「見立番付」が大流行しました。相撲の番付が縦長一枚摺の「江戸番付」として初めて発行されたのは宝暦7年(1757年)10月場所。温泉番付もこの江戸番付を模した縦長の一枚物なので、生まれたのはそれ以降——というのが学術研究の見方です(出典:石川理夫「江戸時代の温泉番付にみる温泉地の受容と変遷」(『温泉地域研究』第27号・日本温泉地域学会・2016年))。
では、番付を作ろうにも、全国の温泉の情報はどこにあったのでしょうか。じつは番付が生まれる約80年前、すでに「全国温泉データベース」と呼べる書物がありました。京都の医家・香川修庵(かがわしゅうあん)が元文3年(1738年)に著した医学書『一本堂薬選 続編』の「温泉」の項です。全国の温泉を国ごとに列挙し(同論文の集計で219カ所)、効能・湯の選び方・入浴法・禁忌まで体系的に論じています。がやも早稲田大学図書館蔵の原本(古典籍総合データベース)を実際に読んでみましたが、「日本の温泉は但馬・城崎の新湯が第一、摂津の有馬、伊豆の熱海がこれに次ぐ」と、医家の目で全国の湯を堂々と格付けしていて驚きます。
同じ本には「かつて湯治客の7〜8割は有馬に行ったが、いまは6〜7割が城崎に行く」という証言も出てきます。京から4日かかる険しい道のりでも、人々は効能の評判で行き先の湯を選ぶようになっていた——18世紀前半には、番付が受け入れられる下地となる湯治文化が、すでに社会に根づいていたわけです。
その系譜の先に、文化7年(1810年)刊の、わが国初の温泉旅行案内書とされる『旅行用心集』(八隅蘆菴)が現れます。「諸国温泉二百九十二ヶ所」を掲げるこの案内書は先の『一本堂薬選』を明らかに典拠にしたとみられ、そしてこの案内書自体が、温泉番付の直近で有力な典拠になり得た——と先の論文は位置づけています。つまり医家の温泉リスト(1738年)→旅の案内書(1810年)→温泉番付、という流れです。
温泉番付そのもので現存最古・刊行年代がわかるものが、この記事で取り上げている文化14年(1817年)刊「諸國温泉功能鑑」です(版や所蔵機関により「効能鑑」とも表記されます)。板の欄外に「文化十四年改」とあるとおり、これ自体がすでに改版で、下段の草津温泉絵図が文化9年(1812年)刊「上州草津温泉図」を下敷きにしていることから、元版の刊行は1812年前後までさかのぼる可能性が指摘されています。番付の各温泉地には江戸からの里程(距離)と効能が書き添えられており(東の大関「上州草津之湯」は「江戸ヨリ四十八リ」)、まさに「どの湯に行くか」を選ぶための実用メディアでした。
おもしろいのは、医家のナンバーワンと番付のナンバーワンが違うことです。『一本堂薬選』が「天下第一」と断じたのは城崎の新湯。ところが番付の東大関は草津、西大関は有馬——江戸の人々の人気と知名度の反映です。『旅行用心集』でさえ「伊加保と草津の両所名湯にして優劣なるべからず」と書いたのに、番付でははっきり序列がつけられました。効能を看板にしながら、実のところ人気番付でもある。だからこそ温泉番付は名称や版元を変えながら幕末まで刊行され続けました。この後ご紹介する、がや所有の弘化2年(1845年)改訂版『諸國温泉鑑』も、その長い系譜の中の一枚です。
諸国温泉功能鑑(江戸時代後期1817年(文化14年))
行ったことがあり紹介ページがある場合は、名称にリンクを設定しております。クリックしていただくと、詳細な紹介ページが表示されます。
| その他 | 名称 | 現在の名称と場所 |
| 行司 | 津軽大鰐の湯 | 青森県南津軽郡大鰐町 大鰐温泉 |
| 行司 | 紀伊熊野本宮の湯 | 和歌山県田辺市本宮町 湯の峰温泉 |
| 行司 | 伊豆熱海の湯 | 静岡県熱海市 熱海温泉 |
| 勧進元 | 紀州熊野新宮の湯 | ??? |
| 差添 | 上州さはたりの湯 | 群馬県吾妻郡中之条町 沢渡温泉 |
がや所有:諸國温泉鑑(弘化2年・1845年改訂版)── 鳥瞰図形式の希少派生版
がやが古本屋で購入した 実物の紙面 をスキャンしたものです。中央上部に「諸國温泉鑑」、左上に「弘化二乙巳年改」(弘化2年改訂=1845年改訂)の記載が読み取れます。中央に大温泉場の鳥瞰図がはめ込まれた見立番付形式で、東西の番付欄に諸国の温泉が配されています。

東京都立図書館加賀文庫蔵『諸国温泉鑑』との関係
同名作品が 東京都立図書館加賀文庫 にも所蔵されており、版元は 達磨屋(だるまや)、サイズは 31.0×49.0cm と記録されています。「中央部に東の大関の上州草津温泉の図がはめ込まれている」という形式の特徴もがや所有版と一致しており、達磨屋系譜の温泉番付の一版本と考えられます。番付の典型構成として 東大関=草津温泉・西大関=有馬温泉、勧進元・行司・差添に熊野本宮・新宮の湯が配されるのが江戸期温泉番付の通例です。
『諸国温泉功能鑑』との関係
本記事の主要典拠である『諸国温泉功能鑑(しょこくおんせんこうのうかがみ)』(文化9〜14年=1812〜1817年・京都・達磨屋=墨屋小兵衛板)は 文字番付形式 であるのに対し、こちらの『諸國温泉鑑』は 鳥瞰図入り見立番付 という別系統の版本です。温泉史研究家・石川理夫氏の論考(「江戸時代の温泉番付にみる温泉地の受容と変遷」温泉地域研究第27号・2016年/『温泉の日本史』中公新書・2018年)でも両者は並列して扱われており、同じ達磨屋系譜から異なる形式・年代で連続的に出版された別作品群と位置づけられます。
希少性について
がや所有の 弘化2年(1845年)改訂版・鳥瞰図形式 は、国立国会図書館・東京大学石本コレクション・早稲田大学千厓文庫・東京都立図書館加賀文庫の公開資料データベースを照合した範囲では 類例が確認できず、希少な現存版本の一つ と考えられます。江戸後期の温泉番付は文化〜安政期にかけて達磨屋系を中心に複数の版元から多数発行されましたが、形式・年代によってバリエーションが豊かに存在しました。
本資料は、温泉番付という文化の 豊かな多様性 を示す貴重な一次史料であり、本サイトの温泉地紹介記事はこうした原史料との照合を踏まえた執筆を心がけています。
また、本記事の比定一覧は石川理夫「江戸時代の温泉番付にみる温泉地の受容と変遷」(『温泉地域研究』第27号・日本温泉地域学会・2016年)に掲載された学術対照表と照合済みです(2026年7月)。個別記事を公開している温泉地については、比定が学術文献と一致していることを確認しています。見解が分かれるエントリ(会津滝の湯など)や、学術文献でも「不明」とされるエントリについては、各記事のなかで両論・調査経過を示すようにしています。

出典:東京大学総合図書館所蔵・東京大学デジタルアーカイブポータル(パブリックドメイン)
温泉番付(諸国温泉功能鑑)以外に行った温泉地
| 温泉名称 | 場所 | 住所 |
| 作並温泉 | 宮城県仙台市青葉区作並 | 宮城県仙台市青葉区作並字元木16 |
| 泉天空の湯 | 東京都江東区有明 | 東京都江東区有明2丁目1−7 |

