【福島・岳温泉】江戸番付「陸奥嶽の湯」とミルキーデイ|安達太良山中腹で1200年の湯守の仕事

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福島県二本松市・安達太良山(あだたらやま)の中腹標高約600mに、江戸時代の温泉番付『諸国温泉功能鑑』に「陸奥嶽の湯」として登載された名湯があります ── 岳温泉(だけおんせん) です。

岳温泉は約1200年前、坂上田村麻呂が東征の折に開いたと伝えられる古湯で、江戸時代には二本松藩により温泉街として整備されました。しかし、1824年の土石流による埋没、1868年戊辰戦争での焼失、1903年の失火による全滅と、たび重なる災難に見舞われた歴史があります。それでも 1906年(明治39年)に地元有志17名が「岳温泉株式合資会社」を設立し、現在の場所に温泉街を再建したことで、岳温泉は今日も湯治場としての灯を絶やしていません。

この記事では、がやが一次史料と公式情報を読み解きながら、岳温泉の歴史と魅力を完全紹介します。

📌 本記事は「完全紹介ページ版」です
がやは現地未訪問の段階で、東京大学石本コレクション・岳温泉観光協会・二本松市観光連盟・福島県観光連盟など49件以上の出典を読み解いて執筆しています。実体験の章はありません。

執筆:がや

温泉宿に45泊以上滞在してきた温泉番付シリーズの執筆者。江戸時代の温泉番付『諸国温泉功能鑑』を起点に、登載された温泉地を一つずつ訪ね、文献と現地で照らし合わせながら記事化しています。本記事はマザー記事「温泉番付(江戸時代)を今の温泉名にして地図に表記!」から派生した第10号です。

📌 この記事で分かること

  • 江戸時代の温泉番付『諸国温泉功能鑑』に「陸奥嶽の湯」として登載された歴史的格
  • 坂上田村麻呂開湯伝説と二本松藩による江戸時代の整備
  • 1824年土石流→1868年戊辰戦争焼失→1903年失火→1906年地元有志17名による再建史
  • 1955年国民保養温泉地指定(全国7カ所の一つ)の格
  • 東北では珍しい強酸性泉(pH 2.5前後)と、くろがね源泉から8kmの引湯
  • 週1回の「ミルキーデイ」──湯守による配管清掃で湯が乳白色に変わる秘密
  • 湯守の冬の過酷な仕事──積雪4m超・スノーシュー登攀・硫化水素ガス・「転げ落ちたら戻ってこられない」現場

⚠ 訪問前に必ず知っておきたいこと

  • 岳温泉」(福島県二本松市)と「嶽温泉」(青森県弘前市)は完全に別の温泉地です。混同にご注意ください
  • 奥岳温泉(あだたら山ロープウェイ起点・日帰り温泉)は同じ二本松市内ですが岳温泉とは別の温泉地です
  • 泉質は東北では珍しい強酸性泉(pH 2.5前後)。金属類・銀製品は変色のリスクがあるため事前に外すことを推奨
  • 春の主要イベントは桜ウィーク(4月10〜30日頃)安達太良山山開き(5月第3日曜)。なお「二本松提灯祭り」は10月開催で岳温泉ではなく市街地中心の祭り

安達太良山中腹・標高600mの山岳温泉、岳温泉とは

岳温泉は、福島県二本松市・安達太良山(あだたらやま)の中腹標高約600mに位置する温泉地です。岳温泉観光協会には15施設前後の旅館・ホテルが加盟しており、安達太良山登山やスキー、智恵子抄ゆかりの観光と組み合わせた湯治旅の拠点として知られています。

岳温泉の最大の特徴は、東北地方では珍しい強酸性泉であること。pH 2.48〜2.5前後、源泉温度は68℃前後で、「くろがね小屋」近くの源泉から約8kmの引湯管で温泉街に運ばれ、温泉街到達時には54.5℃に下がるという独特の供給形態です。引湯途中で鉄分が酸化して湯花が発生し、これが温泉街の湯に独特の質感を与えています。

💡 岳温泉の3つの特徴
江戸番付登載の歴史:『諸国温泉功能鑑』に「陸奥嶽の湯」として登載
強酸性泉(pH 2.48〜2.5):東北地方では希少な泉質
1955年国民保養温泉地指定:全国7カ所の一つに選ばれた格


江戸の温泉番付に登載された「陸奥嶽の湯」

岳温泉の歴史的格を象徴するのが、江戸時代後期の温泉番付『諸国温泉功能鑑(諸国温泉効能鑑)』への登載です。

この番付は、大相撲の番付に見立てて全国の温泉地を東西に分け、効能や評判を基準にランク付けした出版物。元版は文化9〜14年(1812〜1817)、別版は嘉永4年(1851)または嘉永5年(1852)に刊行され、現在は東京大学石本コレクション(CC BY 4.0公開)・早稲田大学古典籍データベース(文庫24 A1318)に一次史料が現存しています。

そして、この番付に 「陸奥 嶽の湯」 として登載されています。

番付内の段位について
番付内での岳温泉の段位は、「東-前頭1段目」(マザー記事および本シリーズの調査)と 「東-前頭2枚目(東北地方第1位)」(岳温泉観光協会公式の記述)の 2通りの記述が存在します。これは元版と再版(嘉永5年版)での段位差の可能性が指摘されており、本記事ではマザー記事の比定に従い「前頭1段目」を主軸としつつ、観光協会公式記述の存在も併記します。いずれの段位であっても、東北地方を代表する湯治場として江戸期に高く評価されていたことに変わりはありません。

「陸奥」は陸奥国、すなわち現在の青森県・岩手県・宮城県・福島県・秋田県の一部のこと。同じ前頭1段目には、湯河原・箱根芦之湯・伊香保・鳴子・蔵王・武州小河内原(東京奥多摩)など、東日本を代表する大温泉地が並びます。江戸期の旅人にとって、岳温泉は陸奥国を代表する湯治場として広く認識されていたことが分かります。

📜 出典クレジット
番付画像の引用に際しては「東京大学総合図書館 石本コレクション、CC BY 4.0」のクレジットを明示する必要があります。本記事執筆時点での参照は書誌情報レベルとしています。


坂上田村麻呂開湯伝説と二本松藩による江戸時代の整備

岳温泉の開湯は、約1200年前、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ・758〜811年)が東征の折に発見したと伝えられています。岳温泉観光協会公式によれば、この発見伝承を起点として、平安時代以降に湯治場として利用が始まったとされています。

ただし、坂上田村麻呂の生没年(758〜811年)と一部Web情報源で言及される「貞観5年(863年)」には年代矛盾があり、この開湯伝説は伝承の域を出ないと理解する必要があります。本記事でも「伝えられる」「とされる」という伝承の形で記述します。

江戸時代になると、岳温泉は 二本松藩(10万700石・丹羽家) により温泉街として整備されました。当時の温泉街は 安達太良山の標高約1,500m地点(現在地より上方)に置かれ、藩の番所や藩公の御殿 も配置されていたとされます。江戸期の岳温泉は二本松藩の管理する公的湯治場として機能し、領内外の旅人で賑わいました。


1824年土石流→1868年戊辰戦争焼失→1903年失火→1906年再建

岳温泉の近世〜近代史は、たび重なる災難と再建 の歴史です。

出来事
平安時代頃 坂上田村麻呂開湯伝説
江戸時代 二本松藩による標高1,500m地点での温泉街整備
1824年(文政7年) 大規模な土石流で温泉街が埋没(『岳山崩一見』『奥州二本松岳山変事筆記』に記録・福島県歴史資料館所蔵)
文政期以降 一度復興するも経営困難
1868年(慶応4年・明治元年) 戊辰戦争で二本松藩士により温泉街が焼き払われた(西軍の拠点化を恐れての自焼)。二本松城は7月29日に1日で陥落
1903年(明治36年) 失火による全滅
1906年(明治39年) 地元有志17名が「岳温泉株式合資会社」を設立し、国有林を払い下げてもらって道路・旅館・商店・共同浴場を整備。現在の岳温泉の原型が完成
1955年(昭和30年)8月24日 国民保養温泉地指定(全国7カ所の一つ)

特に1868年の戊辰戦争での自焼は象徴的な出来事です。二本松藩は会津藩とともに奥羽越列藩同盟の中核を担い、新政府軍(西軍)と激しく戦いました。少年隊(年齢12〜17歳の藩士子弟)も実戦に参加したことで知られる二本松藩は、藩の拠点になることを恐れ、岳温泉の温泉街を自ら焼き払うという苦渋の判断を下しました。

そして1906年、地元の有志17名が私財を投じて温泉街を再建したことで、岳温泉は「地域の誇りと共同体の力で復活した湯治場」という独自の物語を持つことになりました。


強酸性泉(pH 2.48〜2.5)と「くろがね源泉」からの8km引湯

岳温泉の泉質は、酸性-含鉄(II,III)-カルシウム-硫酸塩・塩化物泉(一般に「酸性泉」と呼ばれる強酸性の湯)です。

項目
泉質 酸性泉(東北地方では希少)
pH 2.48〜2.5前後(強酸性)
源泉温度 約68℃
温泉街到達時温度 54.5℃(8km引湯による自然冷却)
引湯距離 約8km(くろがね小屋付近の源泉から温泉街まで)
鉄分 含有(引湯途中で酸化し湯花を生む)

この8km引湯という供給形態は岳温泉の大きな特徴で、安達太良山中腹「くろがね小屋」近くの源泉から温泉街まで自然落下で運ばれる仕組みになっています。引湯途中で湯が空気に触れて酸化が進み、独特の湯花が形成されます。

効能としては、神経痛・筋肉痛・冷え性・慢性皮膚病・慢性消化器病などが温泉法上の一般的適応症として 掲示されている ことが知られていますが、薬機法上の効能を断定するものではなく、温泉法の適応症の範囲での参考情報として扱ってください。

⚠ 強酸性泉の入浴注意点
金属類・銀製品・コンタクトレンズは入浴前に必ず外す(変色・損傷のリスク)
– 傷口がある場合は刺激があるため要注意
– 長湯すぎると肌に負担となる場合があるため適度な入浴を


湯守の仕事と「ミルキーデイ」 ─ 週1回の白濁の秘密

岳温泉の8km引湯を支えているのが、「湯守(ゆもり)」と呼ばれる温泉維持の専門職です。湯守は、源泉と引湯管理に関わる全てを任される伝統的な役割で、岳温泉のような長距離引湯を持つ温泉地では特に欠かせない存在です。

標高約1,400mのくろがね源泉での日々の管理

岳温泉の湯守は、安達太良山中腹・くろがね小屋(標高約1,400m)周辺の源泉地帯に毎週通い、源泉の管理・湯樋の管のメンテナンス・登山道の整備などを行っています。仕事は多岐に渡る重労働です。

冬の過酷な作業 ─ 「転げ落ちたら戻ってこられねえぞ」

湯守の仕事で最も過酷なのは 冬の配管清掃です。河北新報が2025年に行った取材ドキュメンタリー「転げ落ちたら戻ってこられねえぞ」のタイトルが示すとおり、岳温泉の湯守の冬期作業は 命の危険と隣り合わせの重労働です。

項目 内容
積雪 くろがね源泉地帯では 冬期の積雪が4メートルを超えることもある
移動手段 湯守は スノーシュー(かんじき)を履いて源泉地まで雪山を登る
除雪作業 到着後、雪に埋もれた源泉と点検口を一つずつ掘り出す必要がある
転落リスク 急峻な雪山地形で「転げ落ちたら戻ってこられない」(河北新報取材時のベテラン湯守の言葉) |
硫化水素ガス 無風時は源泉から 硫化水素ガスが滞留する危険。換気と作業エリアの拡張で曝露を防ぐ |
清掃ツール 手のひら大のパイプにワイヤを放射状に取り付けた「たわし」を 25メートルのロープで引いて配管内の湯花を落とす

そして 冬期間も湯花流しは欠かせず、2週間に1回の頻度で続けられます。雪山を登り、雪を掘り、ガスの危険を避けながら、ロープでたわしを引く ── これが温泉街の湯を守る湯守の冬の現実です。

📰 取材記録(参考):河北新報「『転げ落ちたら戻ってこられねえぞ』 福島・岳温泉「湯守」に同行 源泉の配管清掃は危険と苦労の連続」(2025年3月配信)
日本テレビ系列でも同様のドキュメンタリーが放送されています:「【密着】雪山を登り配管を清掃… 温泉支える”湯守”の仕事と”後継者不足”の課題 福島 NNNセレクション」(YouTube)

くろがね小屋は2023年閉鎖→2028年再開予定(建て替え中)

湯守の活動拠点となる 「くろがね小屋」(標高約1,400m) は1963年(昭和38年)開設。**60年以上にわたって登山者と湯守を支えてきましたが、老朽化のため2023年に営業休止し、現在は建て替え工事中**です。福島県と二本松市の支援により再建が進められており、2028年(令和10年)11月頃の再オープンが予定されています。岳温泉登山と組み合わせた利用は、再オープン後にあらためて検討してみてください。

「湯花流し」と週1回の白濁日「ミルキーデイ」

岳温泉の源泉は硫黄をはじめとする温泉成分が濃いため、空気に触れると樹脂パイプ内に湯花(ゆばな・温泉成分の沈着物)が付着していきます。放置するとパイプが詰まり、温泉街にお湯が届かなくなってしまうため、湯守が定期的にパイプ内の湯花を流し落とす「湯花流し」を行います。

この湯花流しを行う日が、岳温泉で 「ミルキーデイ」 と呼ばれる白濁日です。普段は無色透明の岳温泉の湯が、湯花流しの日だけはパイプから流れ落ちた湯花とお湯が混ざることで、乳白色のにごり湯に変わります。

季節 ミルキーデイの頻度
夏期間(雪のない時期) 週に1回
冬期間(雪が降る時期) 2週間に1回

つまり、岳温泉で 「乳白色の白濁湯」を狙って入浴したい場合は、ミルキーデイに合わせて訪問する必要があります。岳温泉観光協会・各旅館の公式情報で次のミルキーデイをご確認ください。

📺 湯守の仕事と後継者不足の現状(参考動画):日本テレビ系列の取材ドキュメンタリー 「【密着】雪山を登り配管を清掃… 温泉支える”湯守”の仕事と”後継者不足”の課題 福島 NNNセレクション」(YouTube・https://www.youtube.com/watch?v=EkXeRrVpJa8)では、岳温泉の湯守による雪山での配管清掃の様子と、後継者不足の課題が紹介されています。岳温泉の湯を支える人々の現実を知ることができる貴重な記録です。

後継者不足という現代の課題

湯守の仕事は山岳での重労働かつ高度な専門知識を要するため、後継者不足が深刻な課題となっています。岳温泉の湯を未来に引き継いでいくためには、湯守という伝統的な役割を現代の形でどう継承していくかが問われています。私たち訪問者ができることは、岳温泉に泊まりに行くこと、湯守の仕事に思いを馳せること。それが、この温泉地を支える小さな貢献になります。

1955年国民保養温泉地指定(全国7カ所の一つ)

岳温泉は 1955年(昭和30年)8月24日に国民保養温泉地として指定 されました。これは環境省(当時:厚生省)が温泉法に基づき、温泉地の保健・休養効果と環境保全を認める制度で、全国でわずか7カ所が同時期に指定された最初期のグループの一つです。

国民保養温泉地は単なる観光地ではなく、療養・保健目的での利用を国が公認した温泉地であり、以下の条件を満たす必要があります:
1. 利用源泉の効能と湯量が安定していること
2. 温泉地の保健環境(自然・周辺施設)が優れていること
3. 周辺の観光資源や生活文化との調和が取れていること

岳温泉が1955年という早い時期に指定された背景には、安達太良山の自然環境・酸性泉の希少性・1906年再建後の温泉街整備の質の高さがあったと考えられます。


アクセス・施設情報

所在地 福島県二本松市岳温泉
標高 約600m(安達太良山中腹)
最寄駅 JR東北本線「二本松駅」 福島交通バスで約25〜28分・500円・平日16便
最寄IC 東北自動車道「二本松IC」 国道459号で約15分
加盟旅館 岳温泉観光協会15施設前後(あづま館・光雲閣・花かんざし・碧山亭・空の庭リゾート ほか)
緯度経度 37.6081, 140.3560

鉄道+バスでのアクセス(東京から)

電車+バス(東京から)東京駅東北新幹線+東北本線🚄 約2時間郡山経由🚌 約25分福島交通バス※ 福島交通バスは平日16便・運賃500円・所要25〜28分

車でのアクセス

車(東北自動車道経由)東北自動車道二本松IC🚗 約15分国道459号岳温泉標高約600m安達太良山中腹


周辺観光 ─ 安達太良山・霞ヶ城・智恵子の生家

岳温泉滞在中に楽しめる、二本松市の主な観光地を整理します。

観光地 特徴 岳温泉からの目安
安達太良山 日本百名山・標高1,700m・あだたら山ロープウェイで山頂近くまで10分 車約15分
二本松城(霞ヶ城公園) 日本100名城・日本さくら名所100選・桜約2,500本 車約30分
智恵子の生家・智恵子記念館 高村智恵子(高村光太郎の妻)の生家保存・造り酒屋「米屋」屋号・入館410円 車約25分
大隣寺 二本松藩主丹羽家菩提寺・二本松少年隊の墓 車約25分
戒石銘碑 国指定史跡・1749年・二本松藩家臣の心得碑 車約30分
あぶくま洞 田村市・全長600mの石灰洞 車約1〜2時間

特に注目したいのが 「智恵子抄」ゆかりの地 です。高村智恵子は二本松市油井(旧長沼村)の出身で、夫・高村光太郎の詩集『智恵子抄』に登場する 「ほんとの空」は安達太良山の上の空とされています。岳温泉から安達太良山と智恵子の生家を巡る旅は、文学と温泉を結びつける独自の体験となります。


近隣の温泉地 ─ 福島県内の名湯ネットワーク

福島県内の主な近隣温泉地を整理します。

温泉地 特徴 岳温泉からの目安
奥岳温泉 あだたら山ロープウェイ起点・岳温泉とは別の温泉地 車約15分
土湯温泉 福島市・10種類以上の泉質を楽しめる温泉郷 車約60分
高湯温泉 福島市・400年の歴史を持つ濃厚硫黄泉 車約70分
飯坂温泉 福島市・奥州三名湯の一つ 車約60分
磐梯熱海温泉 郡山市・磐越三美人湯 車約45分

福島県は 温泉地密度が高く、岳温泉を起点に複数の温泉地を巡る湯治旅 が組みやすい地域です。


春・夏・秋・冬の楽しみ方(季節暦)

季節 楽しみ
春(4月) 岳温泉桜ウィーク(4月10〜30日頃)桜坂のソメイヨシノ約300本霞ヶ城さくらまつり(日本さくら名所100選)
春(5月) 安達太良山山開き(毎年5月第3日曜・2026年は5月17日に第72回開催予定)
夏(6〜8月) 安達太良山登山・避暑・あだたら山ロープウェイ
秋(9〜10月) 安達太良山紅葉(10月初旬〜中旬がピーク)/二本松提灯祭り(10月第1土日月・日本三大提灯祭り)(※岳温泉ではなく市街地中心の祭り)
冬(12〜3月) あだたら高原スキー場(12月20日〜3月15日・休日大人4,300円)・雪見温泉

特に 春の桜ウィークは岳温泉ならではのイベントで、温泉街の桜坂のソメイヨシノが見頃を迎えます。秋の二本松提灯祭りは岳温泉ではなく二本松市街地での開催ですが、日本三大提灯祭りの一つとして全国的に知られています。


食文化 ─ 玉羊羹・凍み餅・大七酒造の地酒

二本松市は 酒どころ として知られ、伝統的な郷土料理と地酒が豊富です。

  • 玉羊羹(玉嶋屋):球状のゴム膜に包まれた一口羊羹・二本松の名物
  • 凍み餅:冬の寒さを利用した伝統保存食
  • 凍み大根:同じく寒冷期の保存食
  • ざくざく:根菜たっぷりの郷土汁物
  • なみえ焼そば:浪江町発祥の太麺B級グルメ
  • 大七酒造生酛造りで全国的に名高い福島の酒蔵
  • 奥の松酒造IWC2018チャンピオン・サケ受賞蔵
  • 千功成(檜物屋酒造):二本松の地酒

特に 「お酒どころ二本松」 として、岳温泉の旅館では地酒の利き酒や蔵元見学を組み合わせた滞在プランも提供されています。


よくある質問(FAQ)

Q1. 岳温泉は江戸時代の温泉番付に載っていたのですか?
A. はい。江戸時代後期の温泉番付『諸国温泉功能鑑』に 「陸奥 嶽の湯」 として登載されています。なお、番付内の段位については「東-前頭1段目」(マザー記事)と「東-前頭2枚目」(観光協会公式)の 2通りの記述 があり、元版と再版での違いの可能性があります。いずれの段位でも、東北地方を代表する湯治場として高く評価されていたことに変わりありません。

Q2. 「岳温泉」と「嶽温泉」は同じですか?
A. 完全に別の温泉地です。本記事は 福島県二本松市の岳温泉(陸奥嶽の湯)です。一方、青森県弘前市の嶽温泉(津軽嶽の湯)は同じ番付内の別エントリーです。

Q3. 岳温泉と奥岳温泉は同じですか?
A. 同じ二本松市内ですが別の温泉地です。奥岳温泉はあだたら山ロープウェイ起点の日帰り温泉施設「あだたら山 奥岳の湯」を中心とする温泉地で、岳温泉とは料金も施設も異なります。

Q4. 岳温泉はなぜ強酸性泉なのですか?
A. 安達太良山が現在も活動している火山であり、その源泉がくろがね小屋付近から湧いていることが背景です。pH 2.48〜2.5 という強酸性は東北地方では珍しく、約8kmの引湯管で温泉街まで運ばれる過程で湯花が形成される独特の供給形態を持ちます。

Q5. 1868年に焼失したというのは本当ですか?
A. はい。慶応4年(明治元年・1868年)の戊辰戦争で、二本松藩士が西軍の拠点化を恐れて温泉街を自ら焼き払いました。その後 1903年にも失火で全滅し、1906年に地元有志17名が「岳温泉株式合資会社」を設立して現在の場所に再建しました。

Q6. 東京から岳温泉までどのくらいかかりますか?
A. 東京駅 → 東北新幹線で郡山経由 → JR東北本線で二本松駅まで約2時間二本松駅から福島交通バスで約25〜28分(500円) → 岳温泉、合計 約2時間半〜3時間 です。

Q7. 高村智恵子と岳温泉の関係は?
A. 高村智恵子は二本松市油井(旧長沼村)の出身で、夫・高村光太郎の詩集『智恵子抄』に登場する 「ほんとの空」は、安達太良山の上空を指すとされています。岳温泉滞在中に 智恵子の生家・智恵子記念館(車約25分)を訪れる旅程が組めます。


まとめ・関連記事

岳温泉は、江戸時代の温泉番付『諸国温泉功能鑑』に「陸奥嶽の湯」として登載された約1200年の歴史(伝承)を持ちながら、1824年土石流・1868年戊辰戦争・1903年失火 という三度の災害に見舞われ、1906年に地元有志17名が私財を投じて再建した、稀有な近代史を持つ温泉地です。

東北地方では珍しい強酸性泉くろがね源泉から8kmの引湯1955年国民保養温泉地指定、そして安達太良山と智恵子抄ゆかりの地 ── 岳温泉は単なる観光地ではなく、地域の誇りと共同体の力で守り続けられた湯治場として、現代の旅人にも深い体験を提供してくれる場所です。

📝 本記事は「完全紹介ページ版」です(再掲)
がやは現地未訪問の段階で、東京大学石本コレクション所蔵の番付一次史料(CC BY 4.0)・岳温泉観光協会公式・二本松市観光連盟・福島県観光連盟など49件以上の出典を読み解いて執筆しました。「がやが浸かった」「がやが歩いた」という実体験表現は意図的に使わず、「がやが資料を読み解くと」というメタ視点に統一しています。今後現地取材の機会があれば、第2版にアップデートします。

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