信州渋温泉ガイド|江戸番付に登載された行基1300年の名湯と9湯外湯巡り

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長野県下高井郡山ノ内町。長野電鉄の終着・湯田中駅から路線バスで数分、徒歩でも約30分の場所に、9つの外湯が石畳の温泉街に並ぶ古い湯治場があります ── 渋温泉(しぶおんせん)です。

江戸時代の温泉番付『諸国温泉功能鑑(しょこくおんせんこうのうかがみ)』の 東-前頭2段目 に「信州 渋湯の湯」として名を連ねた、約1300年の歴史を持つ湯治場。奈良時代に行基が開湯したと伝わり、戦国時代には武田信玄が川中島合戦の湯治に訪れ、温泉寺には信玄直筆の寄進状と軍配が現存しています。そんな歴史の重みを今に伝える石畳の街並みと、現代の地獄谷野猿公苑(スノーモンキー)への玄関口としての国際的な存在感が、渋温泉を「江戸の名湯」と「現代の世界的観光地」の交差点に位置付けています。

この記事では、がやが一次史料と公式資料を読み解きながら、渋温泉の歴史と魅力を完全紹介します。9湯外湯巡り・祈願手ぬぐい・金具屋の登録有形文化財、そして地獄谷スノーモンキーまで網羅した第7号です。

📌 本記事は「完全紹介ページ版」です
がやは現地未訪問の段階で、東京大学石本コレクション所蔵の番付一次史料・山ノ内町公式・湯田中渋温泉郷観光協会・温泉寺など54件以上の出典を読み解いて執筆しています。実体験の章はありません。今後現地取材の機会があれば、第2版にアップデートします。

執筆:がや

温泉宿に45泊以上滞在してきた温泉番付シリーズの執筆者。江戸時代の温泉番付『諸国温泉功能鑑』を起点に、登載された温泉地を一つずつ訪ね、文献と現地で照らし合わせながら記事化しています。本記事はマザー記事「温泉番付(江戸時代)を今の温泉名にして地図に表記!」から派生した第7号です。

📌 この記事で分かること

  • 江戸時代の温泉番付『諸国温泉功能鑑』東-前頭2段目「信州渋湯の湯」としての歴史的格
  • 9湯の外湯巡りと「祈願手ぬぐい」・渋高薬師参拝で満願する体験文化
  • 行基開湯1300年と温泉寺に現存する武田信玄の寄進状・軍配
  • 金具屋(1758年・国登録有形文化財)と古久屋(1625年・400年)の老舗建築
  • 地獄谷野猿公苑(スノーモンキー)への玄関口・志賀高原ゲートウェイとしての位置

駅徒歩30分・湯田中渋温泉郷の歴史中核、渋温泉とは

渋温泉は、長野県下高井郡山ノ内町にある古い湯治場です。渋温泉旅館組合の公式サイトには29軒の宿が掲載されており、流通資料では「旅館35軒前後・源泉37本」と表記されることもあります。横湯川沿いに石畳の温泉街が広がり、9つの外湯(共同浴場)と老舗旅館の木造建築が連なるスケール感は、長野県内でも屈指の歴史温泉地と言えます。

渋温泉が属する 湯田中渋温泉郷 は、湯田中・新湯田中・星川・穂波・安代・・角間・上林・地獄谷の 9つの温泉地が連続する大温泉郷です。長野電鉄の終着「湯田中駅」が郷内最大の交通拠点となり、各温泉地はバス・徒歩・タクシーで短時間に移動できます。

渋温泉の規模感を3点でまとめると次の通りです。

💡 渋温泉の特徴
江戸の温泉番付に名を連ねた歴史(『諸国温泉功能鑑』東-前頭2段目)
9湯の外湯巡り+金具屋の登録有形文化財という体験型温泉文化
地獄谷スノーモンキーへ徒歩約2.5kmという現代の国際観光資源


江戸の温泉番付に登載された「信州渋湯の湯」

渋温泉の歴史的格を象徴するのが、江戸時代後期の温泉番付『諸国温泉功能鑑(諸国温泉効能鑑)』への登載です。

この番付は、大相撲の番付に見立てて全国の温泉地を東西に分け、効能や評判を基準にランク付けした出版物。元版は文化9〜14年(1812〜1817)、別版は嘉永4年(1851)に刊行され、現在は東京大学石本コレクション(IIIF・CC BY 4.0公開)・早稲田大学などに一次史料が現存しています。

そして、この番付の 東-前頭2段目 に、こう書かれています。

信州 渋湯の湯

「信州」は信濃国、すなわち現在の長野県のこと。前頭2段目 は、相撲の番付で言えばトップ層に近い上位ランクです。同じ段には、嶽(津軽)・湯元・小名・天仁寺・松の湯・恐山・田川・湯元(岩城)・赤湯・中禅寺麓など、東日本各地の名湯が並びます。江戸期の関東圏・東北圏の旅人にとって、信州の代表的な湯治場として知られていた様子が浮かび上がります。

📜 出典クレジット
番付画像の引用に際しては「東京大学総合図書館 石本コレクション、CC BY 4.0」のクレジットを明示する必要があります。本記事執筆時点での参照は書誌情報レベルとしています。


9湯外湯巡りと祈願手ぬぐい ─ 一番湯初湯から九番湯大湯まで

渋温泉の最大の体験は、なんといっても 9つの外湯を順に巡る「九湯めぐり」 です。

番号 湯の名前 特徴・効能(公式表記の概要)
一番湯 初湯 渋温泉の起点・胃腸に効くとされる
二番湯 笹の湯 湿疹・病気回復にとされる
三番湯 綿の湯 切り傷・産前産後にとされる
四番湯 竹の湯 慢性湿疹にとされる
五番湯 松の湯 神経痛・脊椎病にとされる
六番湯 目洗いの湯 眼病・皮膚病にとされる
七番湯 七操の湯 外傷性障害にとされる
八番湯 神明滝の湯 婦人病にとされる
九番湯 大湯 万病に効くとされる・渋温泉の中心

宿泊客には 「祈願手ぬぐい」 が配布され、9湯すべてを巡ってスタンプを押し、最後に 温泉街を見下ろす渋高薬師(しぶこうやくし)に参拝することで満願となります。「厄除巡浴祈願」とも呼ばれる、宿泊体験ならではの温泉文化です。

外湯は基本的に宿泊客のみが利用可能で、各旅館で鍵を借りて入浴します(一部、九番湯 大湯のみ日帰り客に開放される時間帯あり)。


行基開湯1300年と温泉寺の信玄寄進状

渋温泉の開湯伝説は、奈良時代の高僧・行基(ぎょうき)にさかのぼると伝えられています。山ノ内町公式と湯田中渋温泉郷観光協会は、天平年間(729〜749年)の行基開湯説を統一して採用しており、これが事実とすれば約1300年の歴史を持つ古湯ということになります。

行基は奈良の大仏建立にも携わったとされる僧で、各地の湯治場の開湯伝承に名を連ねる存在。渋温泉の開湯伝説は、行基が托鉢の旅の途中で湧き出る湯を見つけ、地元の人々のために整備したという形で語られます。

戦国時代になると、武田信玄が川中島合戦(1561年・永禄4年)の湯治に渋温泉を訪れたと伝えられます。さらに永禄7年(1564年)には武田家から渋温泉の温泉寺へ寺領70貫文が寄進されたとの寺伝が残り、信玄直筆の寄進状と軍配が温泉寺の寺宝として現存しています。寺紋には武田菱が用いられ、戦国時代の渋温泉が武田家の戦略的な湯治場として機能していたことを今に伝えています。

なお、書籍やネット上では「天智天皇の時代に開湯」「真田幸村ゆかり」などの記述も見られますが、信頼できる出典では確認できないため、本記事ではこれらの説には言及していません。「江戸の温泉番付に名を連ねた」「行基開湯1300年」「武田信玄の寄進状」という3つの一次史料・公式情報だけで、渋温泉の歴史的格は十分に語れます。


金具屋(1758年・国登録有形文化財)と古久屋(1625年・400年)

渋温泉の歴史を今に伝える代表的な老舗が、金具屋(かなぐや)古久屋(こきゅうや) です。

金具屋1758年(宝暦8年)創業。本館の 斉月楼(さいげつろう・1936年完成)と大広間(130畳・トラス構造) は、2003年(平成15年)に国の登録有形文化財に登録されました。木造4階建ての斉月楼は、昭和初期の大工技術の粋を集めた建築で、現在も宿泊棟として現役で使用されています。

古久屋1625年(寛永2年)創業約400年・16代目を数える、渋温泉でも最古級の老舗旅館です。

これら老舗が現役で営業を続けていることが、渋温泉の温泉街の景観と歴史性を強く支えています。


「千と千尋のモデル」説の真相

渋温泉、特に金具屋の建築は「『千と千尋の神隠し』のモデルになった」と語られることが多いですが、この点について 金具屋公式の限定的な見解を確認しておく必要があります。

金具屋公式は「モデルにしたのではなく、建築様式の参考として使用された」との趣旨の見解を示しています。スタジオジブリが公式に「金具屋がモデル」と発表しているわけではなく、断定的に「モデル」と書くことは事実関係として正確ではありません

「千と千尋のモデル」表現について
本記事では「金具屋公式は『建築様式の参考として使用された』との限定的見解を示しています」という表現に統一しています。「モデル」という断定表現は使いません。建築の雰囲気と『千と千尋』の世界観に重なるものを感じる方が多いのは事実ですが、それは観賞者の主観的な印象であり、公式な事実関係ではないという扱いです。


泉質と効能(複数源泉が織りなす渋温泉の湯)

渋温泉の泉質は、参照する資料によって表記が分かれています。

出典 泉質名 温度
山ノ内町公式 単純温泉・塩化物泉 58〜98℃(外湯)
外湯解説(公式観光協会) ナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物温泉

これは表記揺れというより、複数源泉が湧出する温泉地ゆえに、簡略分類と詳細分類の両方が並列で使われているためです。pHは外湯で4.3〜8.0と幅があり、9つの外湯ごとに泉質や温度が微妙に異なることが、九湯めぐりの体験価値を高めています。

効能としては、神経痛・リウマチ・婦人病・胃腸病・皮膚病・切り傷・冷え性などが掲示されています。各外湯の解説には、初湯(胃腸)、笹の湯(湿疹)、目洗いの湯(眼病)など、湯ごとに異なる効能が記載されているのが渋温泉の特徴です。


アクセス・施設情報

所在地 長野県下高井郡山ノ内町平穏(渋温泉)
最寄駅 長野電鉄 湯田中駅 徒歩約30分/タクシー約5分/路線バス約4〜7分
最寄IC 上信越自動車道「信州中野IC」「中野豊田IC」「志賀中野IC」 車約20〜30分
駐車場 渋温泉湯めぐりパーキング 100台/1時間300円・24時間最大1,000円
緯度経度 36.7392, 138.4204(推定)

鉄道アクセス(東京から)

東京駅北陸新幹線かがやき/はくたか🚄 約1時間30分🚆 約45〜50分長野電鉄特急※ 湯田中駅から渋温泉まで 徒歩30分/タクシー5分(約1,000円)/路線バス4〜7分

東京から渋温泉までは、北陸新幹線で長野駅へ約1時間30分 → 長野電鉄特急ゆけむり/スノーモンキーで湯田中駅へ約45〜50分 → 湯田中駅からタクシーまたはバスで5分前後、合計 約3〜3.5時間 で到達できます。長野電鉄の特急料金は100円と低額で、移動の体感もスムーズです。

車・バスでのアクセス

信州中野IC上信越自動車道🚗 車で20〜30分渋温泉湯めぐりパーキング100台※ 練馬IC〜信州中野IC は約3時間/長野駅前から長電バス志賀高原線も運行

長野駅前から長電バス志賀高原線が運行されており、車を持たない方でも温泉地直行のアクセスが可能です。


地獄谷野猿公苑(スノーモンキー)─ 渋温泉から徒歩2.5km、世界のスノーモンキー

渋温泉を訪れた読者にぜひ足を延ばしていただきたいのが、地獄谷野猿公苑(じごくだに やえんこうえん)。世界で唯一、温泉に入る野生のニホンザル「スノーモンキー」を観察できる施設です。

項目 内容
場所 渋温泉から徒歩約2.5〜2.8km(車・タクシーでアクセス可)
入苑料 大人800円・子供400円
営業時間 夏季 8:30〜17:00/冬季 9:00〜16:00
開苑年 1964年(昭和39年)
国際的人気 1970年 米『LIFE誌』表紙で世界に発信/年間来訪者10〜25万人/時期により外国人比率50%超

1970年に米『LIFE』誌の表紙でスノーモンキーが世界に紹介されて以来、渋温泉エリアは「日本らしい雪国の温泉文化」として国際的に認知されてきました。冬の雪原で、野生のサルが温泉に首までつかってリラックスする姿は、他では見られない光景です。

💡 訪問の注意点
– 冬季は雪道のため、防寒・防滑装備で訪問してください
– 自然観察施設のため、サルへの餌付けや過度な接近は禁止
– スノーモンキー目当ての訪問は 早朝〜午前中 が比較的混雑が少ない傾向です


志賀高原ゲートウェイ ─ 18スキー場と国道日本最高地点

渋温泉は、志賀高原へのゲートウェイとしても機能します。

  • 志賀高原:18スキー場が連結する大型スキーリゾート(1998年長野冬季五輪の競技会場)
  • 横手山:標高2,307m(長野・群馬県境の火山)。山頂の南にある渋峠は標高2,172mで、ここを通る国道292号「志賀草津高原ルート」上の地点が「国道として日本最高地点」とされます
  • 四季折々の景観:春の新緑・夏のトレッキング・秋の紅葉・冬のスキー

渋温泉は標高約700m(湯田中駅周辺と同等)に位置し、志賀高原の入り口として機能してきた歴史があります。冬は志賀高原でスキーを楽しみ、夜は渋温泉の石畳の街で外湯巡りというプランは、長野ならではの過ごし方です。


湯田中渋温泉郷9温泉と山ノ内町の温泉ペア

渋温泉が属する湯田中渋温泉郷の9温泉地を、特徴で整理します。

温泉地 特徴
湯田中温泉 長野電鉄駅前・大湯・楓の館
新湯田中温泉 湯田中駅近隣・モダン旅館多め
星川温泉 川沿いの素朴な温泉
穂波温泉 高台の眺望温泉
安代温泉 渋温泉に隣接・歩いて移動可能
渋温泉 本記事メイン・9湯外湯巡り
角間温泉 山ノ内町山中の小規模温泉
上林温泉 志賀高原方面・リゾート色
地獄谷温泉 スノーモンキーの後楽館

各温泉地は車・徒歩で短時間移動でき、「湯田中渋温泉郷」全体を一つの大温泉郷として楽しむ旅程が組めます。


信州そばと志賀高原ビール ─ 山ノ内町の食文化

渋温泉滞在中の食の楽しみは、信州ならではの郷土料理です。

  • 信州そば:長野県は国内2位のそば生産県(出典:農林水産省)。手打ちそばを出す店が温泉街にも複数あります
  • 野沢菜:野沢温泉村が発祥地として知られる、長野を代表する漬物
  • おやき:小麦粉や蕎麦粉の生地で野沢菜・かぼちゃ・あんこ等を包んで焼いた郷土料理
  • 志賀高原ビール:山ノ内町の玉村本店(8代目)が醸造するクラフトビール。地元レストランや旅館で取り扱いあり

訪問前に知っておきたい注意事項

⚠ 訪問前に確認したいこと

  • 外湯(共同浴場9湯)は基本的に宿泊客のみ利用可能。日帰り入浴を希望する場合は九番湯 大湯の開放時間を事前確認
  • 祈願手ぬぐいは宿泊先で配布。日帰りでは入手不可
  • 冬季は道路の積雪・路面凍結あり。志賀草津高原ルート(国道292号)は冬季閉鎖区間あり
  • 地獄谷野猿公苑は夏季8:30〜17:00/冬季9:00〜16:00。最終入苑時間に注意
  • 湯田中駅から渋温泉まで徒歩30分は雪道だと負担大。冬はタクシーまたは送迎を推奨

春の新緑、夏のトレッキング、秋の紅葉、冬のスノーモンキー(季節暦)

季節 楽しみ
春(4〜5月) 志賀高原の残雪・新緑のトレッキング
夏(6〜8月) 志賀高原の高原トレッキング・避暑・横手山の星空
秋(9〜10月) 志賀高原の紅葉(10月中旬〜下旬がピーク・国道292号沿い)
冬(12〜3月) スノーモンキー雪見温泉志賀高原18スキー場(メインシーズン)

特に 冬の渋温泉 は、雪の石畳・ガス灯のような街灯・スノーモンキー・スキー が組み合わさり、渋温泉のもっとも象徴的な季節です。


よくある質問(FAQ)

Q1. 渋温泉は江戸時代の温泉番付に載っていたのですか?
A. はい。江戸時代後期の温泉番付『諸国温泉功能鑑』東-前頭2段目に 「信州 渋湯の湯」 として登載されています。同段には嶽(津軽)・恐山・赤湯・中禅寺麓など東日本の名湯が並びます。

Q2. 9湯外湯巡りは日帰りでもできますか?
A. 基本的に 宿泊客のみが9湯すべての利用が可能 です。日帰りの場合は、九番湯 大湯のみ時間限定で開放されることがありますので事前にご確認ください。祈願手ぬぐいも宿泊客向けの配布です。

Q3. 金具屋は本当に『千と千尋の神隠し』のモデルですか?
A. 金具屋公式は「モデルにしたのではなく、建築様式の参考として使用された」との限定的見解 を示しています。スタジオジブリが「金具屋がモデル」と公式発表しているわけではありません。建築の雰囲気から作品世界を連想する方が多いことは事実ですが、断定的に「モデル」と書くことは正確ではないため、本記事では「建築様式の参考」という表現に統一しています。

Q4. 武田信玄が訪れたという証拠はありますか?
A. 温泉寺に信玄直筆の寄進状(永禄7年・1564年・寺領70貫文)と軍配が現存 しています。湯治の伝承+一次史料が揃った戦国期の足跡です。

Q5. 東京から渋温泉までどのくらいかかりますか?
A. 東京駅 → 北陸新幹線で長野駅(約1時間30分)→ 長野電鉄特急で湯田中駅(約45〜50分)→ 湯田中駅から渋温泉まで徒歩30分/タクシー5分/路線バス4〜7分 で、合計 約3〜3.5時間 です。

Q6. スノーモンキーはいつでも見られますか?
A. 地獄谷野猿公苑は 通年営業(夏季8:30〜17:00/冬季9:00〜16:00)。野生のサルなので必ず観察できる保証はありませんが、特に冬季は温泉に入る姿が見られる可能性が高い時期とされています。

Q7. 渋温泉から志賀高原のスキー場までどのくらい?
A. 渋温泉から志賀高原の主要スキー場までは 車で20〜40分。シーズン中は宿の送迎やシャトルバスが運行されることもあります。


まとめ・関連記事

渋温泉は、江戸時代の温泉番付『諸国温泉功能鑑』東-前頭2段目に「信州渋湯の湯」として登載された約1300年の歴史を持つ古湯であり、9湯の外湯巡り+祈願手ぬぐい+渋高薬師参拝という体験型温泉文化を今に伝える稀有な温泉地です。

歴史の重み(行基開湯・武田信玄の寄進状・金具屋の登録有形文化財)と、現代の国際的な観光資源(地獄谷スノーモンキー・志賀高原)が同じ場所に交差している ── これが、長野県・山ノ内町の渋温泉の最大の魅力です。

📝 本記事は「完全紹介ページ版」です(再掲)
がやは現地未訪問の段階で、東京大学石本コレクション所蔵の番付一次史料(CC BY 4.0)・山ノ内町公式・湯田中渋温泉郷観光協会・温泉寺・各旅館公式情報など54件以上の出典を読み解いて執筆しました。「がやが浸かった」「がやが歩いた」という実体験表現は意図的に使わず、「がやが資料を読み解くと」というメタ視点に統一しています。今後現地取材の機会があれば、第2版にアップデートします。

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