底倉温泉ガイド|箱根七湯で最少1軒・太閤石風呂が語る隠れ湯の600年史

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神奈川県足柄下郡箱根町底倉。宮ノ下温泉の西隣、八千代橋から蛇骨川(早川支流)沿いの深い谷の標高約430〜440mに、🔥江戸初期は塔之沢と並ぶ湯坪12ヶ所のトップクラスだった温泉地、底倉温泉(そこくらおんせん)があります。

江戸時代の温泉番付『諸国温泉功能鑑』では🔥東-前頭4段目「相州底倉の湯」(堂ヶ島と同段)と評され、応永10年(1403年)4月25日に新田義隆(義則)が討たれた『鎌倉大草紙』『鎌倉大日記』の記録、天正18年(1590年)豊臣秀吉小田原攻めの際に将兵が入浴した「太閤石風呂」(元名「瀬戸の湯」・江戸期地震で埋没→文化年間 1804-1818年に熊野権現お告げで再掘出)、大正末期(1920年代)洋館の旧函嶺医院と、箱根七湯のなかで稀有な「人名・年月日付き」での最古級文献記述を持つ温泉地です。

しかし、江戸後期に湯宿4軒(萬屋・梅屋・蔦屋・仙石屋)へ縮減し、1893年大火と1923年関東大震災を経て、現代は箱根つたや旅館1軒+日帰り温泉「底倉の湯 函嶺」の計実質3スポットへと、箱根七湯のなかで最も激しい縮減史を歩んだ温泉地の一つでもあります。

宿数は1軒に縮減しましたが、湯量規模は現代も健在です。蛇骨川の渓谷沿いから自然湧出する蛇骨湧泉群28本の自家源泉(湧出量1,020L/分・泉温27〜95℃・ナトリウム塩化物泉/単純温泉混在)が、箱根町観光協会公式データ(hakone.or.jp/6902)に記録されています。

がやが一次史料と公式情報を読み解きながら、箱根全体ではなく「底倉」に特化して、「歴史×建築×地学」の三位一体で本来の魅力を再発見します。江戸番付の段位、応永10年(1403年)の人名記録、太閤伝承の真相、大正末期洋館、蛇骨湧泉群の地質まで、判断に必要な数字とリストで整理してお届けします。

執筆:がや

出張と趣味で全国の温泉宿に通算200泊以上。江戸期温泉番付の現物(弘化2年改訂版『諸國温泉鑑』)を所有し、番付に載る温泉地を一つずつ訪ねて歴史的視点で記事にしています。江戸の温泉番付『諸国温泉鑑』を今の温泉名にして地図に表記した記事もあわせてご覧ください。


🔍 この記事で分かること(読者ベネフィット一覧)

あなたの目的 読みどころ 結論の要点
行く価値があるか即判定したい 基本情報 現存1軒・蛇骨湧泉群28源泉・宮ノ下から徒歩10分
最速ルートと旅程を知りたい アクセス・モデル旅程 小田原から登山鉄道約48分+徒歩10分・1泊2日モデル付き
お湯の質を理解したい 泉質と効能 底倉の湯56.4℃/函嶺源泉67.6℃・施設別データ
歴史の深さを知りたい 番付・中世・秀吉・湯宿の各章 東-前頭4段目・1403年人名記録・太閤石風呂・12湯坪→1軒
宿・日帰り施設を選びたい つたや旅館・函嶺 キャビン3,500円〜・貸切1時間1,500円・大正末期洋館

結論を最短で知りたい方は、本ガイドの最後のまとめから逆引きでも構いません。


底倉温泉の蛇骨川渓谷沿いに建つ箱根つたや旅館と太閤石風呂
蛇骨川渓谷沿いに建つ箱根つたや旅館。江戸番付「東-前頭4段目」の歴史を持つ箱根七湯の一つ
箱根二十湯イラストマップ(クリックで各温泉のガイドページへ移動)

温泉地名称をクリックすると各温泉の紹介ページへ移動します(現在のページは赤い枠で表示)

蛇骨川渓谷沿いの極小温泉地 ── 箱根十七湯のなかで最少1軒、底倉温泉の基本情報

底倉温泉は、箱根十七湯のなかで現存宿泊施設1軒という最少規模でありながら、江戸番付『諸国温泉功能鑑』東-前頭4段目「相州底倉の湯」に登載され、応永10年(1403年)の新田義隆討死記録・1590年豊臣秀吉の太閤石風呂・大正末期洋館の旧函嶺医院・蛇骨湧泉群28源泉・早川泥流の地質という、箱根七湯のなかで最も濃密な歴史×建築×地学を持つ温泉地の一つです。

宮ノ下温泉から徒歩約10分という近接立地にもかかわらず、深い谷の標高約430〜440mに旅館が蛇骨渓谷の断崖に貼り付くように建つ「集落型」のため、温泉街と呼べる商店街・湯巡り回廊は無く、深山の趣が現代まで色濃く残ります。

以下、訪問判断のための4要素を整理します。

訪問判断のための4要素

観点 数値・状況 コメント
① 旅館組合加盟数 底倉温泉単独の旅館組合は存在せず、箱根温泉旅館協同組合「箱ぴた」傘下 現存宿泊1軒(箱根つたや旅館)+日帰り2軒(つたや旅館日帰り/底倉の湯 函嶺)
② 地理 神奈川県足柄下郡箱根町底倉・標高約430〜440m 宮ノ下温泉の西隣・蛇骨川(早川支流)沿いの深い谷。座標 35.244028°N, 139.056806°E
③ 宿の多様性 宿泊1軒+日帰り2軒の計実質3スポット キャビン3,500円〜上位室40,920円・幅広い予算帯
④ 温泉街の規模感 温泉街・商店街・湯巡り回廊なし 蛇骨渓谷の断崖に旅館が貼り付くように建つ「集落型」

規模感 ── 数字で見る底倉温泉

指標 数値 出典
源泉総数 28本 箱根町観光協会公式
総湧出量 毎分 1,020 L 同上
泉温レンジ 27〜95℃(自然湧出含) 同上
主泉質 ナトリウム-塩化物泉(弱食塩泉)/単純温泉併存 同上
開湯記録 応永10年(1403年) 『鎌倉大草紙』『鎌倉大日記』『底倉之記』
江戸番付登載位置 東-前頭4段目「相州底倉の湯」 『諸国温泉功能鑑』文化9-14年(1812-1817年)成立
江戸初期湯坪数(1686年) 12ヶ所(塔之沢と同率トップ) 『貞享三年御引渡目録』『永代日記』『勝俣家文書』
江戸後期湯宿数 4軒(萬屋・梅屋・蔦屋・仙石屋) 『七湯の枝折』巻六「底倉之部」
現代宿泊施設数 1軒(箱根つたや旅館) 箱根温泉旅館協同組合「箱ぴた」
ジオパーク登録 箱根ジオパーク「H17 蛇骨渓谷」ジオサイト 箱根ジオパーク公式

🎯 数字で見るポイント:江戸初期12湯坪→後期4軒→現代1軒。箱根七湯のなかで最も激しい縮減史を持つ温泉地の一つ。底倉=応永10年(1403年)の人名・年月日付き文献記述は、塔之沢の慶長10年(1605年)より約200年早い箱根七湯最古級。

江戸期『七湯の枝折』からの引用

宮の下より此所迄三四丁町つつきなり、温湯にして気味至て鹹し(しおからし)、熱湯なり 湯宿四軒 効験:痔疾・淋病・疝気(下腹部痛)・中風ほか
── 『七湯の枝折』巻六「底倉之部」(江戸後期・文窓・弄花作・箱根町立郷土資料館 沢田家旧蔵「つたや本」)

⚠ 「そこくらの湯つたや」と「箱根つたや旅館」の混同注意

底倉温泉を調べる際に最も多い混同が、類似名の2施設についてです。

施設名 状態 関係
そこくらの湯つたや 2017年末 閉館 旧屋号
箱根つたや旅館 2019年11月26日(いい風呂の日)リニューアル開業 現存・10代目沢田武治系継承

→ ネット上の古い情報や閉館前のレビューを参照する際は、「箱根つたや旅館」は2019年以降の新生屋号として認識すること。


アクセス・施設情報

宮ノ下温泉から徒歩約10分、小田原から箱根登山鉄道で約48分。箱根七湯のなかで宮ノ下に最も近い隣接温泉地です。

項目 内容
住所 神奈川県足柄下郡箱根町底倉 555(中心)/240-1(つたや旅館)/558(函嶺)
電話 つたや旅館 0460-83-9580(宿泊)・0460-83-9588(日帰り)/函嶺 0460-82-2017
最寄駅 箱根登山鉄道 宮ノ下駅(OH 54)から徒歩約10分(太閤石風呂まで約12分)
バス 箱根登山バス/伊豆箱根バス「神社下」「ホテル前」下車徒歩約3分
駐車場 つたや旅館 4台(予約制500円/日)/函嶺 5台
標高 約430〜440m

🚉 4ハブ・マルチハブアクセス経路図


底倉温泉 アクセス経路図(東京・新宿・羽田)底倉温泉 アクセス経路図(東京駅・新宿駅・羽田空港の3ハブ)東京駅新宿駅羽田空港🚄 新幹線こだま約35分🚄 ロマンスカー約65分🚆 京急+新幹線約100分🚆 登山鉄道約48分🚶 徒歩約10分合計:東京から約120分(新幹線+登山鉄道+徒歩)/新宿から約125分(ロマンスカー+乗換+登山鉄道+徒歩)羽田から約140〜160分(京急+新幹線+登山鉄道+徒歩・※2026/4/1直通バス廃止)車利用は東名「厚木IC」から約50分/小田原厚木道路経由

図:東京・新宿・羽田・小田原の4ハブから小田原駅を中継、箱根登山鉄道で宮ノ下駅まで、徒歩約10分で底倉温泉へ。

🚖 4ハブ別 所要時間・料金比較表

ハブ 推奨ルート 所要時間 料金(片道・大人)
小田原駅 登山鉄道直通(670円・48分) 約48分 670円
新宿駅 ロマンスカー+登山鉄道(小田原乗換) 約125分 約 2,780円
東京駅 新幹線こだま+登山鉄道 約120〜130分 約 3,950円
羽田空港 京急+新幹線+登山鉄道(直通バス2026/4/1廃止) 約140〜160分 約 4,250円

重要注記:2026年4月1日より小田急ハイウェイバス羽田線ダイヤ改正で全便御殿場発着となり、宮ノ下方面直通便は廃止されました(小田急ハイウェイバス羽田線公式)。羽田からは京急+新幹線+登山鉄道の乗継推奨。

用途別チェックリスト

  • 最速・最安 → 小田原駅から登山鉄道直通(48分・670円)
  • 快適最優先(座席指定・直通・荷物多め) → 新宿駅から小田急ロマンスカー+小田原乗換(約125分・約2,780円)
  • 東京方面から → 東京駅から新幹線こだま+小田原乗換(約120分・約3,950円)
  • 羽田から → 京急+新幹線+登山鉄道乗継(直通バス2026/4/1廃止)

❄ 冬期凍結注意点

標高430〜440mの渓谷立地のため、12月〜2月の降雪・凍結時は蛇骨渓谷遊歩道での滑落リスクあり。雪見露天は箱根つたや旅館の底倉の湯56.4℃で楽しめますが、遊歩道散策は積雪日を避けるか、十分な装備で慎重に。

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アクセスが確認できたら、宿の空室・料金もチェック。宮ノ下駅から徒歩10分、江戸番付「東-前頭4段目」の名湯です。

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1泊2日モデル旅程と周辺観光

底倉温泉単独では半日コースが基本ですが、宮ノ下温泉が隣接しているため、1泊2日で2温泉地を効率よく回れます。「行ってから何をするか」を時系列で整理します。

モデル旅程:1泊2日 ── 太閤伝説と蛇骨渓谷を巡る

時刻 行動 場所 滞在時間
1日目 13:00 宮ノ下駅着 箱根登山鉄道 OH 54
13:15 箱根つたや旅館チェックイン → ラウンジで休憩 徒歩10分 45分
14:00 蛇骨渓谷遊歩道散策(八千代橋 → 蛇骨湧泉群 → 太閤石風呂 → 太閤の滝) 渓谷沿い 90分
15:30 函嶺で貸切日帰り温泉(1時間1,500円・予約制) 徒歩3分 60分
17:00 つたや旅館に戻り露天風呂(底倉の湯56.4℃・加水なし湯量調整) 60分
18:30 夕食 → 21:00 内湯 旅館
22:00 就寝
2日目 7:00 朝湯(露天) 60分
8:00 朝食 旅館 60分
9:30 チェックアウト → 富士屋ホテル見学 宮ノ下駅徒歩7分 60分
11:00 宮ノ下駅周辺ランチ 宮ノ下温泉街 90分
13:00 宮ノ下駅発 帰路

周辺観光詳細(文化財制度を区別して明記)

スポット 見学料 所要 文化財制度
太閤石風呂 無料・24時間見学(入浴不可・遊歩道から見下ろし 10分 国・県・町いずれも文化財指定なし
太閤の滝 無料・24時間見学 5分 指定なし
蛇骨渓谷遊歩道 無料 30分 箱根ジオパーク「H17 蛇骨渓谷」ジオサイト(文化財制度ではない・第三のフレームワーク)
富士屋ホテル 見学コース有 30分 国登録有形文化財(1997年12月12日登録)・町登録歴史的建造物(2018年5月1日)/文化遺産オンライン

ジオパーク制度の位置づけ:箱根ジオパーク「H17 蛇骨渓谷」ジオサイトは、文化財保護法でも自然公園法でもない第三のフレームワーク(日本ジオパーク認定2012年9月(2025年1月再認定))。「文化財」と混同しないこと。


四季の楽しみ方

標高約430〜440mの蛇骨渓谷沿いは、四季それぞれに表情を変えます。

季節 見どころ 一言
春(4-5月) 蛇骨渓谷の新緑・八千代橋からの眺望 渓流の音と若葉のコントラスト
夏(6-8月) 蛇骨川での涼・太閤ひょうたん祭(毎年8月上旬・熊野神社) 標高440mで涼しい・スズメバチ注意
秋(10-11月) 太閤の滝の紅葉撮影スポット・蛇骨渓谷遊歩道 落差約10mの滝×紅葉の絶景
冬(12-2月) 雪見露天(つたや旅館露天風呂・底倉の湯56.4℃)・降雪時の凍結注意 標高440mで降雪あり

太閤ひょうたん祭(毎年8月上旬・熊野神社)

天正18年(1590年)秀吉小田原攻めの太閤伝承を継承する地元行事。熊野神社で執り行われ、底倉温泉の年中行事として地元住民・観光客が集う。底倉と「秀吉」の歴史的紐帯を確認できる年に1度の機会として、夏の訪問計画に組み込めます。

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紅葉の太閤の滝・雪見露天の底倉の湯56.4℃・8月の太閤ひょうたん祭。四季それぞれの底倉温泉を箱根つたや旅館で。

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泉質と効能 ── ナトリウム・塩化物泉(弱食塩泉)・蛇骨湧泉群28源泉

底倉温泉の泉質はナトリウム-塩化物泉(弱食塩泉)/単純温泉が混在し、蛇骨湧泉群と呼ばれる28本の源泉から自然湧出します。

地区基本データ(公式)

項目 数値 出典
源泉総数 28本 箱根町観光協会
泉温 27〜95℃(自然湧出含) 同上
湧出量 1,020 L/min 同上
主泉質 ナトリウム-塩化物泉(弱食塩泉)/単純温泉併存 同上
ジオパーク 箱根ジオパーク「H17 蛇骨渓谷」ジオサイト 箱根ジオパーク公式

施設別 加水・加温・循環・消毒の処理一覧

施設 源泉 泉温 pH 加水 加温 循環 消毒
箱根つたや旅館(露天) 底倉の湯(自家・自然湧出) 56.4℃ pH 8.08(弱アルカリ性) × × × ×
箱根つたや旅館(内湯) 底倉の湯(同上) 56.4℃ 同上 ○(冬季) 紫外線(露天はオゾン併用・塩素なし)
底倉の湯 函嶺(貸切露天) 自家源泉 67.6℃ pH 7.2(中性) ○(67.6℃高温対策) × × × 完全放流式

江戸期『七湯の枝折』効能(一次史料引用)

効験:痔疾・淋病・疝気(下腹部痛)・中風ほか。豊臣秀吉が浴した太閤石風呂あり。痔病に究めて験あり。

※現代の医学的効能を断定するものではなく、江戸期の温泉ガイドの記述としてご紹介しています。

現代の適応症(厚生労働省告示の療養泉適応症)

  • 泉質別適応症(ナトリウム-塩化物泉):切り傷、末梢循環障害、冷え性、うつ状態、皮膚乾燥症
  • 一般適応症:筋肉・関節の慢性的な痛みやこわばり、自律神経不安定症、ストレスによる諸症状、病後回復期、疲労回復、健康増進

メタケイ酸(参考値・「美肌成分の目安」)

  • つたや旅館:113 mg/kg
  • 函嶺:131 mg/kg

⚠ 「美肌の湯」と単独で断定するのは景表法上のリスクがあるため、本記事では「メタケイ酸◯◯mg/kg含有(一般に美肌成分の目安とされる)」と数値根拠+限定表現でご紹介しています。


江戸期温泉番付『諸国温泉功能鑑』── 東-前頭4段目「相州底倉の湯」

底倉温泉は、江戸時代の温泉番付の代表格『諸国温泉功能鑑』に東-前頭4段目「相州底倉の湯」として登載されました(堂ヶ島と同段)。

番付の概要

『諸国温泉功能鑑』は江戸時代の温泉番付の代表格。原版は文化9〜14年(1812-1817年)成立。嘉永4年(1851年)ほか複数回再刻されました(早稲田大学風陵文庫蔵)。

東方相州8湯の段位

段位 表記 現在の温泉地
東-前頭(首位扱い) 相州足の湯 芦之湯温泉
東-前頭二段目 相州湯元の湯 箱根湯本温泉
東-前頭三段目 相州姥子の湯/相州木賀の湯/相州塔の沢の湯/相州宮下の湯 姥子・木賀・塔之沢・宮ノ下
東-前頭四段目 相州底倉の湯 底倉温泉(本記事)
東-前頭四段目 相州堂ヶ島の湯 堂ヶ島温泉

底倉は堂ヶ島と同段。1国から8湯ランクインは相州(神奈川)のみで、江戸幕府お膝元の温泉郷として箱根が特別扱いだったことの証左です。

「箱根七湯図」表記の出典について(重要訂正)

ネット上で散見される「1842年『箱根七湯図』」という表記は一次根拠未確認です。江戸期の箱根七湯を視覚的に記録した史料としては、以下が確実な一次資料として挙げられます:

  • 『七湯の枝折』(江戸後期・文窓・弄花作・箱根町立郷土資料館 沢田家旧蔵「つたや本」)
  • 『箱根七湯図会』(嘉永5年/1852年・歌川広重・国立国会図書館蔵)

本記事では、年代不明の「1842年『箱根七湯図』」表記は採用せず、確実な一次史料名で引用しています。


1403年『底倉之記』新田義隆 ── 江戸後期地誌に伝わる中世記録

底倉温泉の歴史を語るうえで最も特異なのが、応永10年(1403年)4月25日に新田義隆(義則)が底倉で討たれたという記録です。これは箱根七湯のなかで「人名・年月日付き」での最古級文献記述にあたります。

史料の正しい性格

項目 内容
書名 『底倉之記(そこくらのき)』
成立年代 江戸後期(応永10年/1403年の出来事を記述)
所収 『改定史籍集覧』第10冊国会図書館デジタル pid/1920299
性格 上野国新田氏の中世記録(1403年同時代史料ではなく、後世の地誌

新田義隆(義則)応永10年4月25日討死

応永10年(1403年)4月25日、鎌倉府方の追っ手(藤田氏ら)に踏み込まれ、新田義隆は子と共に底倉で討たれました。この事実は『鎌倉大草紙』『鎌倉大日記』という同時代記録で確認できる史実です。

一方で「湯治目的で底倉に滞在していた」という説は江戸後期『底倉之記』に依拠する伝承層であり、確信度はB(湯治目的説の一次史料は不在)。

既存通説の訂正ポイント

  • ✗「1403年『底倉記』に新田義則潜伏記録」(同時代記録のように読める)
  • ◎「江戸後期の地誌『底倉之記』(『改定史籍集覧』所収)に、応永10年(1403年)に新田義隆(義則)が底倉の湯で湯治中に幕府方に襲われ討死したと伝えられる。義隆討死自体は同時代史料『鎌倉大草紙』『鎌倉大日記』で確認できる事実だが、湯治目的説は伝承層

底倉=「箱根七湯で最古級の文献記述」

温泉地 最古文献記述
底倉 応永10年(1403年)/『底倉之記』『鎌倉大草紙』
塔之沢 慶長10年(1605年)/阿弥陀寺木食弾誓上人
湯本 阿弥陀寺念光覚書(江戸初期)

→ 底倉の1403年記述は塔之沢開湯の約200年前。箱根七湯のなかで「人名・年月日付き」での最古級記録という独自性を持っています。

『底倉之記』全文の現代語訳要約・原文へのリンク

『底倉之記』要約(江戸後期成立):上野国新田一族の新田義隆(義則)は、応永10年(1403年)4月、関東公方足利満兼との対立に敗れ、子と共に底倉の湯に湯治と称して身を隠した。同月25日、鎌倉府方の追っ手(藤田氏ら)に踏み込まれ、義隆は奮戦の末、子と共に討死したと伝えられる。底倉村内には新田塚と称される供養塚が現存し、観光協会公式(hakone.or.jp/523)でも紹介されている。

原文は国会図書館デジタル pid/1920299『改定史籍集覧』第10冊で参照可能。

📢 底倉の湯56.4℃を体験できる宿

蛇骨湧泉群28源泉のなかでも自家源泉「底倉の湯」を「かめ張り」集湯方式で楽しめるのは箱根つたや旅館だけ。67.6℃完全放流式の函嶺貸切露天も。

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1590年豊臣秀吉小田原攻め ── 太閤石風呂と禁令伝説

底倉温泉の名物「太閤石風呂」は、天正18年(1590年)の豊臣秀吉小田原攻めに由来する遺構です。ただし、よく語られる「秀吉が掘らせた風呂」という単純な物語は不正確で、正しい来歴は以下の通りです。

史実として確定している部分

  • 小田原征伐:天正18年(1590年)、豊臣秀吉が後北条氏討伐のため小田原城を包囲
  • 禁制発給:秀吉は伊豆・相模・武蔵の村々に禁制(乱暴狼藉禁止令)を発給。『豊臣秀吉文書集』(吉川弘文館・全9巻)第4巻に天正17-18年文書928点が編年順収録/川崎市・横須賀市に現物伝来
  • 底倉村宛禁制の原本は2026年5月現在 未確認(今後の地元郷土史研究で確認される可能性あり)

太閤石風呂の正しい来歴

段階 内容
元名 「瀬戸の湯」(豊臣秀吉入浴以前の旧称)
1590年 秀吉軍が底倉を夜営地として使用、将兵が「瀬戸の湯」で入浴したと伝わる
江戸期 地震で埋没
文化年間(1804-1818年) 熊野権現のお告げで地元民が再掘出
現在 縦約1m×横約3m・蛇骨川左岸の岩盤くり抜き型石風呂(入浴不可・遊歩道から見下ろし観覧

→ 「秀吉が掘らせた」のではなく、元々あった「瀬戸の湯」を秀吉軍が使い、江戸期に埋没→文化年間に再発見というのが正確な来歴です。

禁令の引用(軸1で3源クロス成立)

秀吉は温泉で将兵を労ったが、湯治湯としての村を保護のため「乱暴狼藉、放火や道理に合わないことを村人にあれこれ言うな」と禁止令を出したと伝わる
── Wikipedia「底倉温泉」

「太閤」を冠する温泉地としての特異性

「将兵が実際に入浴した石風呂」が遺構として現存しているのは、有馬温泉(湯山御殿跡)と底倉温泉(太閤石風呂)の二大事例。底倉は「戦時下の野営地での即席入浴施設」という、有馬とは異なる軍事史的価値を持っています。

太閤ひょうたん祭(毎年8月上旬・熊野神社)

太閤伝承を継承する地元行事。底倉温泉の年中行事として記事内で訴求可能。夏の底倉訪問は、この祭の日程に合わせるとより歴史的な体験ができます

『豊臣秀吉文書集』第4巻 関東圏禁制一覧(参考)

『豊臣秀吉文書集』(吉川弘文館・全9巻)第4巻には、天正17-18年(1589-1590年)の秀吉文書928点が編年順で収録されており、相模・武蔵・伊豆の各村宛禁制が多数含まれている。川崎市・横須賀市など複数の自治体に原本が伝来している一方、底倉村宛禁制の原本は2026年5月現在未確認。今後の地元郷土史研究の進展で確認される可能性がある。


江戸期の湯宿4軒 ── 江戸初期は塔之沢と並ぶ湯坪12ヶ所、後期に4軒へ縮減

底倉温泉の現存規模(宿泊1軒)から、「江戸期から小規模だった」と誤解されがちですが、江戸初期は塔之沢と並ぶ湯坪12ヶ所のトップクラス温泉地でした。

江戸初期(貞享3年/1686年)湯坪数:底倉=12ヶ所=塔之沢と同率トップ

温泉地 1686年湯坪数
底倉 12ヶ所
塔之沢 12ヶ所
宮ノ下 11ヶ所
湯本 4ヶ所
木賀 4ヶ所
堂ヶ島 2ヶ所
芦之湯 2ヶ所

出典:箱根温泉公式「箱ぴた」(『貞享三年御引渡目録』『永代日記』『勝俣家文書』に基づく)。

→ 江戸後期〜明治期に湯宿数が4軒に縮減しましたが、江戸初期は塔之沢と並ぶ大型温泉地でした。

江戸後期(『七湯の枝折』記載)湯宿4軒の屋号・当主名・系譜

屋号 当主名 系譜・現状
萬屋 孫左衛門 江戸期に廃業
梅屋 又左衛門 江戸期〜明治期に廃業(1893年大火後再建→1962年閉館
蔦屋 平左衛門 1890年(明治23年)沢田武治に売却→現「箱根つたや旅館」として現存
仙石屋 丈助 1893年大火後再建→関東大震災で破壊(1894年に当主丈助が『相州函根底倉鉱泉誌』を刊行

縮減の主因(推察+史実)

  1. 1893年(明治26年)大火(一次史料:箱ぴた)
  2. 1923年(大正12年)9月1日 関東大震災で底倉温泉の旅館が山崩れで倒壊(NHKアーカイブ映像で記録)
  3. 戦後復興期に湯宿数が縮減し、現代に蔦屋系1軒のみが現存

承応3年(1654年)の大名湯治記録(補強)

「底倉湯治中の安藤右京進の家来天野十右衛門が刺殺」記事(『永代日記』)。江戸初期から大名・上級武士の湯治場として機能していた一次根拠であり、湯坪数12ヶ所という規模の裏付けにもなります。

『相州函根底倉鉱泉誌』(仙石屋丈助・1894年)の全章構成

江戸後期の湯宿4軒のうち、唯一明治期に温泉誌を刊行したのが仙石屋丈助。1894年(明治27年)刊行の『相州函根底倉鉱泉誌』は、底倉の地理・歴史・泉質・効能・周辺観光を体系的にまとめた近代初期の温泉ガイドの嚆矢。仙石屋自身は1893年大火後に再建したものの、その後の関東大震災(1923年)で被害を受け、現代までに閉業。仙石屋系譜の正確な閉業年は本記事執筆時点で未確認。国会図書館デジタルコレクションでの公開状況は要確認。


箱根つたや旅館 ── 江戸期蔦屋系の自家源泉宿(底倉の湯・かめ張り集湯)

底倉温泉の現存唯一の宿泊施設が「箱根つたや旅館」です。江戸期の湯宿4軒のうち蔦屋系を継承する唯一の現存施設であり、自家源泉「底倉の湯」を江戸期伝来の「かめ張り」集湯方式で利用する、底倉ならではの宿です。

⚠ 「そこくらの湯つたや」との混同注意

施設名 状態 公式URL
そこくらの湯つたや 2017年末 閉館
箱根つたや旅館 2019年11月26日(いい風呂の日)リニューアル開業 hakone-tsutaya.com

→ ネット上の古いレビューや閉館前情報は「そこくらの湯つたや」(旧屋号)。現存は「箱根つたや旅館」として認識すること。

三段継承の歴史

出来事
江戸期 蔦屋平左衛門が創業
1890年(明治23年) 横浜真金町の酒商・沢田武治が買収(出典:仙石屋丈助『相州函根底倉鉱泉誌』1894年)
2006年(平成18年) 戸田氏が屋号と運営を継承
2017年末 「そこくらの湯つたや」一時閉館
2019年11月26日(いい風呂の日) 「箱根つたや旅館」として10代目リニューアル開業(老舗旅館型ゲストハウス)

施設詳細

項目 内容
客室数 全52室(洋室1・和室2・和洋室3・キャビン46)
客室タイプ KAGODOKO(キャビン・3,500〜5,200円)/STANDARD(和室・洋室・7,000〜9,680円)/TATAMI SUPERIOR(和洋室・26,000〜40,920円)
自家源泉 底倉の湯(蛇骨湧泉群の一つ・敷地内岩盤から自然湧出・56.4℃・pH 8.08・メタケイ酸113mg/kg)
集湯方式 「かめ張り」(江戸期伝来・自噴源泉を石畳内の石造容器で自然集湯・ポンプ揚水を最小化)
風呂 男女別大浴場+露天風呂(露天は加水なし湯量調整)
日帰り入浴 大人1,500円/日曜13:00〜18:00(他曜日要問合せ)
OTA掲載 楽天トラベル(5,520円〜)・じゃらん(yad308617)・Relux(rlx.jp/24788・総合4.7点)

訴求軸

  1. 箱根七湯の蔦屋系唯一の現存:江戸期の湯宿4軒のうち、現代まで系譜をつなぐ唯一の宿
  2. 自家源泉×かめ張り技法=底倉独自:ポンプ揚水を最小化する江戸期伝来の集湯方式は、現代では珍しい
  3. キャビン3,500円〜という箱根最安級:歴史と価格のバランスが箱根エリアでも特異

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函嶺(かんれい)── 1890年沢田家蔦屋買収/1892年函嶺医院開業・大正末期洋館

底倉温泉のもう一つの顔が、完全予約制の貸切日帰り温泉「底倉の湯 函嶺」です。大正末期(1920年代)建造の洋館を活用した日帰り施設で、67.6℃の自家源泉を完全放流式で楽しめます。

二段階の正しい来歴

出来事
1890年(明治23年) 沢田武治が蔦屋を買収(蔦屋取得の年)
1892年(明治25年)7月 発起人3名(沢田武治・山中隆千・岡島行光)が函嶺医院を開業(温泉村村長・山口仙之助〈富士屋ホテル創業者〉が協力)(医院開業の年)/出典:箱ペディア
大正末期(1920年代) 現存の洋館(函嶺医院の建物)が建てられる/出典:駿河銀行・静岡県観光・お一人さま温泉旅で3源一致
2019年4月29日 底倉の湯 函嶺として貸切日帰り温泉に再開

既存記述の表現修正

  • ✗「1890年函嶺医院に始まる」(沢田家継承と医院開業を混同)
  • ◎「1890年に沢田武治が蔦屋を買収。1892年に発起人3名(沢田武治・山中隆千・岡島行光)が函嶺医院を開業(温泉村村長・山口仙之助〈富士屋ホテル創業者〉が協力)。現存建物は大正末期(1920年代)の洋館で、2019年4月29日に貸切日帰り温泉として再開
  • ※山口仙之助は当時の温泉村村長として開業に協力(発起人は沢田武治・山中隆千・岡島行光の3名)

施設詳細

項目 内容
営業形態 完全予約制の貸切日帰り温泉
営業時間 10:00〜16:00/不定休
入浴料 大人 1,500円/こども 750円(1時間貸切)
駐車場 5台
風呂 別棟の貸切露天風呂1つ(竹林・蛇骨渓谷の渓流を見下ろす)
源泉 自家源泉(67.6℃・pH 7.2・成分総計1,051mg/kg・メタケイ酸131mg/kg・完全放流式

⚠ 函嶺洞門との混同注意

函嶺洞門」(箱根湯本〜塔之沢間の道路施設・国指定重要文化財)は同名の別物です。底倉温泉の「函嶺」(旧函嶺医院・大正末期洋館)とは無関係。混同しないこと。

函嶺の文化財制度上の位置づけ

制度 該当 備考
国指定重要文化財 × 湯本・萬翠楼福住(2002年指定)と異なる
国登録有形文化財 × 文化遺産オンライン未掲載(2026-05-16時点)
神奈川県指定 ×
箱根町指定文化財 ×

公的文化財指定なし。記事中では「国・県・町いずれの指定文化財・登録文化財にも公的データベース上での該当確認はできなかった」と限界付き表現とします。建築価値(大正末期洋館)は確かに高いものの、現時点で公的指定はない点を正直に明示します。


蛇骨川と「蛇の骨」── 底倉の地名と地質的特徴

底倉温泉を流れる蛇骨川(じゃこつがわ)と地名「蛇骨」の由来は、温泉湧出口に沈着する白い珪華(けいか)に関係します。地質学的にも、約3万7,000年前の「早川泥流堆積物」を削り込んで形成された深い渓谷で、箱根ジオパーク「H17 蛇骨渓谷」ジオサイトに登録されています。

蛇骨地名の2系統由来説(軸1:3源クロス・落葉跡説併記推奨)

出典 内容
説A:白い珪華そのものが蛇骨に見える Wikipedia箱根ジオパーク 温泉中のケイ素(珪酸)成分が湧出口に白く沈着し「蛇の骨」のような無定形珪酸の白い珪華をなす
説B:珪華沈殿層に落葉跡が蛇骨状になる コトバンク 珪華の沈殿層に木の葉が落ち、蛇骨状の模様を示す

地質的特徴(箱根ジオパーク公式)

  • 蛇骨川は早川の支流・約3万7,000年前の「早川泥流堆積物」を削り込んで形成された深い渓谷
  • 渓谷両壁には早川泥流に流された巨石が露出
  • ナトリウム塩化物泉が多数の湧泉群として自然湧出 → 「蛇骨湧泉群(じゃこつゆうせんぐん)」
  • 日本では珍しい中性ナトリウム塩化物泉が高温で自然湧出する地域」として地質学的に注目される

箱根ジオパークでの位置づけ

  • 「H17 蛇骨渓谷」ジオサイトに登録箱根ジオパーク公式
  • 箱根ジオパーク:日本ジオパーク認定2012年9月(2025年1月再認定)
  • ⚠ ジオパーク制度は文化財保護法でも自然公園法でもない第三のフレームワーク。「ジオサイト」と明記して文化財制度と峻別しています

明治の鉄道整備と1919年宮ノ下駅同時開業 ── 蛇骨温泉脈保護のためルート迂回

底倉温泉と宮ノ下駅は徒歩約10分という近接立地ですが、これは偶然ではなく、源泉保護のための鉄道迂回ルートの結果です。

開業の正しい年表

出来事
1907年 小田原電気鉄道(現 小田急箱根)が登山鉄道敷設の調査を開始
1916年 地質調査で「宮ノ下駅から二ノ平駅(現 彫刻の森駅)までの区間にトンネルを掘削すると蛇骨川の温泉脈に悪影響を与える」と判明 → ルート大幅迂回
1919年5月24日 全工事完了
1919年(大正8年)6月1日 箱根湯本〜強羅間 8.9km 開業/宮ノ下駅も同日開業(3源クロス:箱根ナビ公式・小田急箱根Wikipedia・WebSearch複数で完全一致)
1926年(大正15年)1月16日 宮ノ下駅付近で鉄道線脱線転覆事故 → 1926年時点で宮ノ下駅は既に存在
1928年(昭和3年) 箱根登山鉄道として再分社化された年(小田原電気鉄道→日本電力合併→箱根登山鉄道分社化)

既存記述の表現修正

  • ✗「1928年(昭和3年)箱根登山鉄道 強羅まで延伸完成・宮ノ下駅開業」
  • ◎「1919年(大正8年)6月1日、箱根登山鉄道(当時:小田原電気鉄道)の箱根湯本〜強羅間 8.9km が開業し、宮ノ下駅も同日開業した。1928年は箱根登山鉄道として再分社化された年であり、開業年ではない

「宮ノ下駅の位置は底倉温泉源泉群の保護を優先した結果決まった」

1916年の地質調査で「蛇骨温泉脈への悪影響」が判明したため、ルートを大幅迂回。宮ノ下駅から底倉温泉まで徒歩約10分という近接立地は、源泉保護のための鉄道迂回ルートの結果であり、明治末期〜大正初期の鉄道技術者が底倉の温泉資源価値を高く評価していた歴史的証左です。

宮ノ下駅の現状

項目 内容
開業 1919年(大正8年)6月1日
標高 436m(2013年再調査値)
駅構造 相対式ホーム2面2線・地上駅
駅番号 OH 54
隣接駅 大平台(OH 53・2.2km)/小涌谷(OH 55・1.4km)
無人化 2024年2月1日終日無人化

よくある質問(FAQ・10問)

# Q A
1 底倉温泉に宿は何軒あるか? 現存宿泊施設は 「箱根つたや旅館」1軒のみ。日帰り温泉は2軒(つたや旅館日帰り/底倉の湯 函嶺)。
2 「そこくらの湯 つたや」と「箱根つたや旅館」は同じ施設? 2017年末に「そこくらの湯 つたや」が一時閉館 → 2019年11月26日に「箱根つたや旅館」として10代目リニューアル開業。屋号が変わり、運営も継承されているが別施設として認識。
3 太閤石風呂で入浴できる? 入浴不可・遊歩道から見下ろし観覧のみ(無料・24時間)。入浴目的なら箱根つたや旅館または底倉の湯 函嶺へ。
4 底倉温泉は「日本秘湯を守る会」加盟? 加盟記録なし。歴史×建築×地学の三位一体で訴求される温泉地であり、秘湯軸は使えない。
5 諸国温泉功能鑑での底倉の段位は? 東-前頭4段目「相州底倉の湯」(堂ヶ島と同段)。1国から8湯ランクインは相州(神奈川)のみ。
6 1403年に底倉に何があった? 応永10年(1403年)4月25日、新田義隆(義則)が底倉で討たれた(『鎌倉大草紙』『鎌倉大日記』)。湯治目的説は江戸後期『底倉之記』の伝承層。
7 太閤石風呂の正しい来歴は? 元名は「瀬戸の湯」。1590年に秀吉軍将兵が入浴 → 江戸期地震で埋没 → 文化年間(1804-1818年)熊野権現お告げで再掘出
8 函嶺は1890年に開業? 1890年は沢田武治が蔦屋を買収した年。函嶺医院の開業は1892年(明治25年)7月。現存建物は大正末期(1920年代)の洋館。
9 宮ノ下駅はいつ開業? 1919年(大正8年)6月1日、箱根湯本〜強羅間8.9km開業時に同時開業。1928年は箱根登山鉄道として再分社化された年。
10 羽田空港から底倉温泉へのバス直通は? 2026年4月1日のダイヤ改正ですべての便が御殿場発着となり、宮ノ下方面直通便はなし。京急+新幹線+登山鉄道での乗継推奨。

まとめ

底倉温泉は、江戸初期は塔之沢と並ぶ湯坪12ヶ所のトップクラス温泉地でありながら、江戸後期4軒・関東大震災・昭和を経て現存1軒の極小温泉地へ縮減した稀有な歴史を持ちます。

  • 江戸番付『諸国温泉功能鑑』東-前頭4段目「相州底倉の湯」(堂ヶ島と同段)
  • 応永10年(1403年)新田義隆討死の人名・年月日付き最古級記録(箱根七湯で最古)
  • 1590年豊臣秀吉小田原攻めの太閤石風呂(元名「瀬戸の湯」・文化年間再掘出)
  • 大正末期の旧函嶺医院洋館(1892年開業・発起人:沢田武治・山中隆千・岡島行光)
  • 蛇骨湧泉群28源泉(湧出量1,020L/分・泉温27〜95℃)と早川泥流の地質的特徴

歴史×建築×地学」の三位一体で、底倉温泉の本来の魅力を再発見できる温泉地です。宮ノ下駅から徒歩約10分という近接立地は、1916年の地質調査で「蛇骨温泉脈への悪影響」を避けるためにルートを迂回した結果という、源泉保護の歴史的副産物でもあります。

現存唯一の宿泊施設「箱根つたや旅館」のキャビン3,500円〜、貸切日帰り温泉「底倉の湯 函嶺」の1時間1,500円という価格帯は、箱根エリアでも特異な歴史×コスパのバランス。箱根七湯のなかで「最も濃密で最も縮減した温泉地」の一つとして、ぜひ一次史料と現地体験の両方から再発見してみてください。

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参考資料・出典

一次史料・公式(最優先)

  1. 箱根町観光協会「底倉温泉」
  2. 箱根町観光協会「箱根つたや旅館」
  3. 箱根町観光協会「新田塚」
  4. 箱根ナビ「太閤石風呂・太閤の滝」
  5. 箱根ナビ「箱根登山鉄道の歴史」
  6. 箱根ジオパーク「H17 蛇骨渓谷」
  7. 神奈川県温泉地学研究所「箱根温泉」
  8. 箱根温泉公式「箱ぴた・箱根七湯の成立」
  9. 箱根温泉公式「箱ぴた・函嶺医院開院」
  10. 箱根温泉公式「箱ぴた・七湯の浮世絵」
  11. 国会図書館デジタル『改定史籍集覧』第10冊
  12. 文化遺産オンライン「箱根七湯一覧」
  13. 文化遺産オンライン「七湯方角略図」
  14. 文化遺産オンライン「富士屋ホテル」
  15. 早稲田大学風陵文庫『諸国温泉功能鑑』
  16. 神奈川県立歴史博物館「おうちでおんせんきぶん」
  17. 小田急ハイウェイバス羽田線(2026/4/1廃止情報)
  18. 駅探(小田原〜宮ノ下)

二次情報

  1. Wikipedia「底倉温泉」
  2. Wikipedia「宮ノ下駅」
  3. Wikipedia「小田急箱根鉄道線」
  4. コトバンク「底倉之記」
  5. コトバンク「蛇骨川」
  6. onsen360「諸国温泉功能鑑」
  7. スルガ銀行 井伊部長「つたや」
  8. スルガ銀行 井伊部長「函嶺」
  9. 箱根つたや旅館 公式
  10. 温泉の歴史ジャパン「底倉温泉」
  11. NHKアーカイブ「関東大震災・底倉旅館倒壊映像」

執筆:がや

温泉番付に登載された全国の名湯を、一次史料と公式情報を突き合わせて紹介する温泉ライター。江戸期『諸国温泉功能鑑』に登載された名湯を中心に、開湯伝説・泉質・宿泊事情を実地と公式情報で検証して執筆中(底倉温泉は蛇骨川渓谷沿いの隠れ湯として箱根町観光協会・箱根ジオパーク・国会図書館デジタル等の一次史料を多角的に交差検証)。本記事は温泉番付(江戸時代)を今の温泉名にして地図に表記!でも取り上げた神奈川県の温泉地で、箱根温泉ガイドに続く箱根七湯の番付登載湯としてまとめました。

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