神奈川・底倉温泉ガイド|江戸番付『相州底倉の湯』×1590年太閤秀吉の岩風呂と蛇骨渓谷の隠れ湯

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神奈川県足柄下郡箱根町底倉・蛇骨川(じゃこつがわ)渓谷沿い、宮ノ下温泉の西隣にひっそりと佇む場所に、江戸時代の温泉番付『諸国温泉功能鑑』に「相州底倉の湯」(東-前頭4段目)として登載された名湯があります ── 底倉温泉(そこくらおんせん) です。

底倉温泉は、1403年『底倉記』に新田義則潜伏の記録を持つ中世以来の隠れ湯。1590年(天正18年)の豊臣秀吉・小田原攻めの際には夜営地となり、秀吉が温泉で将兵を労い「乱暴狼藉禁止」の禁令を発したと伝えられます。箱根七湯の一つとして江戸期に名を馳せた湯ですが、現代まで続く宿は江戸期4軒中わずか1軒となり、蛇骨川の白い析出物が「蛇の骨」のように見える渓谷景観と相まって、箱根七湯で最も静謐な隠れ湯としての風情を保っています。

この記事では、がやが一次史料と公式情報を読み解きながら、親記事「箱根温泉ガイド」の派生として「底倉」に特化した独自の歴史と魅力 を完全紹介します。箱根全体については親記事「箱根温泉ガイド」、湯本については「箱根湯本温泉ガイド」、塔之沢については「塔之沢温泉ガイド」もあわせてご覧ください。

📌 本記事は「一次史料統合ガイド」(底倉特化)です
がやは底倉温泉の旅館に宿泊した経験はまだありませんが、本記事は一次史料・箱根町観光協会・つたや旅館・函嶺・箱根登山鉄道の公式情報を読み解いて執筆した完全ガイドです。

執筆:がや

会社の出張で過去20年、全国を飛び回り、各地のビジネスホテルや温泉地の旅館に宿泊してきた執筆者。趣味でも温泉巡りを続け、温泉宿は通算200泊以上。歴史好きで、温泉地周辺の歴史的建造物や文化財も合わせて訪ねてきました。江戸期温泉番付の現物(弘化2年改訂版『諸國温泉鑑』・鳥瞰図形式)を所有。江戸時代の温泉番付『諸国温泉功能鑑』を起点に、登載された温泉地を一つずつ訪ね、文献と現地を照らし合わせながら歴史的視点で記事化しています。本記事はマザー記事「温泉番付(江戸時代)を今の温泉名にして地図に表記!」から派生した第14号で、第2号「箱根温泉ガイド」から地区別派生記事として底倉温泉に特化しています。底倉温泉の旅館宿泊経験はまだありませんが、隣接する箱根湯本・塔之沢へは複数回訪問しており、宮ノ下方面の景観は車窓から繰り返し観察してきました。

📑 目次

  1. 蛇骨川渓谷沿いの隠れ湯、底倉温泉とは
  2. 江戸の温泉番付に登載された「相州底倉の湯」
  3. 1403年『底倉記』新田義則潜伏 ── 中世の隠れ湯としての記録
  4. 1590年豊臣秀吉小田原攻め ── 太閤の岩風呂と禁令伝説
  5. 江戸期の湯宿4軒 ── 1842年「箱根七湯図」の記録
  6. 箱根つたや旅館 ── 江戸期蔦屋系の自家源泉宿
  7. 函嶺(かんれい)── 1890年函嶺医院に始まる日帰り湯
  8. 蛇骨川と「蛇の骨」── 底倉の地名と地質的特徴
  9. 明治の鉄道整備と1919年宮ノ下駅開業 ── 隠れ湯から日本人向け温泉地へ
  10. 泉質 ── ナトリウム・塩化物泉の弱食塩泉
  11. アクセス・施設情報
  12. 周辺観光 ─ 太閤石風呂・太閤の滝・蛇骨渓谷遊歩道
  13. 訪問前に知っておきたい注意事項
  14. よくある質問(FAQ)
  15. まとめ・関連記事

📌 この記事で分かること

  • 江戸の温泉番付『諸国温泉功能鑑』に「相州底倉の湯」(東-前頭4段目)として登載された底倉の歴史
  • 1403年『底倉記』新田義則潜伏記録という箱根七湯の中で最古級の文献記述
  • 1590年豊臣秀吉小田原攻め時の夜営地・温泉村保護禁令と「太閤石風呂」「太閤の滝」
  • 1842年「箱根七湯図」記載の江戸期4軒(萬屋・梅屋・蔦屋・仙石屋)と現存1軒の系譜
  • 蛇骨川の白い析出物(無定形珪酸)が「蛇の骨」に見える渓谷景観の由来
  • 箱根つたや旅館(江戸期蔦屋系・自家源泉「かめ張り」式)と函嶺(1890年医院建築の日帰り湯)
  • 新宿から底倉までのアクセス・周辺観光(宮ノ下温泉・蛇骨渓谷)

蛇骨川渓谷沿いの隠れ湯、底倉温泉とは

底倉温泉は、箱根七湯の中でも特に小規模な温泉地で、蛇骨川(じゃこつがわ)の渓谷沿い現役旅館がわずか1軒(箱根つたや旅館) という、現代まで続く 「箱根の隠れ湯」 です。江戸期には 萬屋・梅屋・蔦屋・仙石屋の4軒の湯宿 が並ぶ規模を持ちましたが、明治以降は 宮ノ下温泉(外国人向け)との対比で日本人客中心 に推移し、現代まで 静謐な渓谷温泉地 の風情を保っています。

項目 内容
所在地 神奈川県足柄下郡箱根町底倉240-1
位置 蛇骨川と早川の合流点付近・宮ノ下温泉の西隣
現役旅館 箱根つたや旅館(江戸期蔦屋系)・函嶺(日帰り湯・大正期医院建物)
江戸期の湯宿 萬屋・梅屋・蔦屋・仙石屋 4軒(1842年「箱根七湯図」)
アクセス 箱根登山鉄道 宮ノ下駅 徒歩約10分
新宿からの所要時間 ロマンスカー+登山鉄道で約100分
箱根七湯の位置 第6位(湯本・塔之沢・宮ノ下・堂ヶ島・底倉・木賀・芦之湯のうち5番目)
泉質 ナトリウム・塩化物泉(弱食塩泉) ・自家源泉「蛇骨源泉」
江戸期番付 東-前頭4段目「相州底倉の湯」(嘉永4年版・諸国温泉功能鑑)

新宿駅からの所要時間は 箱根湯本駅まで小田急ロマンスカー最速73分箱根湯本から箱根登山鉄道で約22分=合計約95〜100分。湯本の喧騒、塔之沢の渓谷、宮ノ下の外国人リゾートを越えて辿り着く 箱根七湯の中で最も奥まった一軒宿の隠れ湯 が、底倉温泉の独自性です。


江戸の温泉番付に登載された「相州底倉の湯」

底倉温泉は、江戸時代後期の温泉番付『諸国温泉功能鑑』(嘉永4年版・1851年)において 「相州底倉の湯」 として登載されました。

番付ポジション

項目 内容
表記 相州底倉の湯
番付の位置 東-前頭4段目
大関 上州草津の湯
関脇 野州那須の湯
小結 信州諏訪の湯

箱根七湯の中の番付ポジション

『諸国温泉功能鑑』には箱根七湯のうち以下が登載されています:

番付 名称 現在
東-前頭1段目 相州足の湯 芦之湯温泉
東-前頭2段目 相州湯元の湯 箱根湯本温泉
東-前頭3段目 相州塔の沢の湯 塔之沢温泉
東-前頭3段目 相州宮下の湯 宮ノ下温泉
東-前頭3段目 相州姥子の湯 姥子温泉
東-前頭3段目 相州木賀の湯 木賀温泉
東-前頭4段目 相州底倉の湯 底倉温泉(本記事)

底倉は 箱根七湯の中で前頭4段目(湯本2段目・塔之沢/宮ノ下/姥子/木賀の3段目より下位)に位置しますが、これは 江戸期の旅館規模・湯量・流通量 を反映した格付けと考えられます。実際、江戸期に4軒の湯宿があった底倉は、湯本(数十軒)や宮ノ下(中規模)に比べて小規模な温泉地でした。


1403年『底倉記』新田義則潜伏 ── 中世の隠れ湯としての記録

底倉温泉の最古の記録は、1403年(応永10年)の『底倉記』 に遡ります。これは 新田義則(南朝武将・新田義興の子孫)底倉に潜伏した という記述で、底倉が中世から「隠れ家・隠れ湯」として機能していた ことを示す貴重な史料です。

「中世の隠れ湯」としての地理的優位性

底倉が 隠れ湯として選ばれた理由 は、その地形的特徴にあります:

  • 蛇骨川と早川の合流点 ── 渓谷の奥に位置し、街道から外れる
  • 箱根七湯の中で最も奥まった配置 ── 湯本→塔之沢→宮ノ下を経由する必要
  • 山に囲まれた「湯の倉」 ── 「底倉」の地名通り、外から見えにくい谷底の温泉

隠れ湯の系譜は江戸期・近代にも継承

中世の 新田義則潜伏伝説 に始まる「隠れ湯」のイメージは、江戸期の 小規模湯宿4軒構成、明治期の 「日本人向け(宮ノ下が外国人向けとの対比)」、そして現代の 「現役1軒のみ」 という形で連続的に受け継がれています。「箱根七湯の中で最も静謐」 が底倉の一貫したアイデンティティです。


1590年豊臣秀吉小田原攻め ── 太閤の岩風呂と禁令伝説

底倉温泉の歴史で最も有名な出来事が、1590年(天正18年)の豊臣秀吉・小田原攻め に関わる伝承です。

秀吉の夜営地としての底倉

出来事
1590年(天正18年) 豊臣秀吉が小田原征伐に出陣(北条氏討伐)
同年 秀吉軍が底倉を夜営地として使用秀吉自ら温泉で将兵を労う
同年 秀吉が温泉村保護のため「乱暴狼藉・放火・道理に合わぬ言いがかり禁止」の禁令 を発布

「太閤の岩風呂」と「太閤の滝」

伝承によれば、秀吉軍の将兵が利用した石風呂太閤石風呂 として現代まで遺構として残されています:

項目 内容
太閤石風呂 天然の洞窟を利用した蒸気浴(蒸し風呂形式)
太閤の滝 落差10m・幅3m・蛇骨川渓谷の名瀑
現状 入浴不可(遊歩道から観賞のみ)
アクセス 底倉温泉から徒歩・遊歩道経由

蒸気浴形式の天然洞窟風呂 という構造は、戦国期の野営地での即席入浴施設として実用的だったと考えられます。現代では入浴できませんが、戦国時代の温泉文化を偲ぶ貴重な遺構 です。

秀吉禁令の歴史的意義

秀吉が 温泉村保護のため禁令を発布した という事実は、秀吉が底倉温泉の価値を認識し、戦時下でも住民を守ろうとした ことを示します。これは 江戸期の徳川幕府による「箱根七湯」の保護 にも繋がる、温泉地保護政策の先駆例として位置付けられます。


江戸期の湯宿4軒 ── 1842年「箱根七湯図」の記録

江戸時代の底倉温泉は、湯宿4軒 を中心に営まれていました。

1842年「箱根七湯図」の記録

天保13年(1842年)の絵地図 『箱根七湯図』 には、底倉の湯宿として以下の4軒が描かれています:

屋号 当主 系譜
萬屋(よろずや) 孫左衛門 江戸期に廃業
梅屋(うめや) 又左衛門 江戸期〜明治期に廃業
蔦屋(つたや) 平左衛門 現「箱根つたや旅館」 に系譜継承
仙石屋(せんごくや) 丈助 江戸期に廃業

江戸期の効能 ── 痔疾の名湯

江戸期の温泉番付『諸国温泉功能鑑』では、底倉は 痔疾に効能がある とされた湯として記録されています。ナトリウム・塩化物泉(弱食塩泉) の温泉成分は、温泉法上の一般効能として現代も知られる適応症と概ね重なります。

⚠ 江戸期の効能記述は当時の医学的認識に基づくもので、現代の医学的治療を保証するものではありません。

現存は「つたや」系1軒のみ ── 4軒→1軒の縮減

明治期以降、萬屋・梅屋・仙石屋の3軒は順次廃業 し、現代まで残るのは 蔦屋系の「箱根つたや旅館」1軒のみ となっています。これは 箱根七湯の中で最も激しい縮減 で、「現役1軒の隠れ湯」という現代の底倉のアイデンティティを形成しました。


箱根つたや旅館 ── 江戸期蔦屋系の自家源泉宿

底倉温泉を象徴する旅館が、箱根つたや旅館(つたやりょかん) です。

つたや旅館の概要

項目 内容
系譜 江戸期「蔦屋平左衛門」の流れ(1842年「箱根七湯図」記載)
自家源泉 蛇骨源泉(敷地内の岩盤から自然湧出)
湯の供給方式 「かめ張り」(江戸期から伝わる底倉独自の集湯方式)
立地 蛇骨川渓谷沿い・宮ノ下駅徒歩圏

「かめ張り」── 江戸期から伝わる集湯方式

「かめ張り(甕張り)」 は、底倉独自の集湯・供給方式で、自噴する源泉を石畳内の甕に溜めおく 古来の手法です。これは現代の 配管式・タンク式 とは異なる、江戸期から続く伝統的湯供給システム で、底倉温泉の文化的価値 を象徴する技術です。

自噴源泉の希少性

敷地内の岩盤から自然湧出する自家源泉 を持つ温泉旅館は現代では珍しく、ボーリングで湯本温泉と同じ基盤岩から揚湯する塔之沢温泉 とは異なる 「自噴源泉そのまま」 という点で、底倉温泉は 箱根七湯の中でも特に源泉に近い湯 を体験できる旅館として知られます。


函嶺(かんれい)── 1890年函嶺医院に始まる日帰り湯

もう一つの底倉温泉施設が、函嶺(かんれい) です。

函嶺の歴史

出来事
1890年(明治23年) 沢田武治が蔦屋を購入。富士屋ホテル創業者・山口仙之助とともに「函嶺医院」を開設
大正期 医院建物として使用
現在 大正期の医院建物を活用した日帰り湯施設 として営業

富士屋ホテルとの関係

富士屋ホテル は1878年(明治11年)創業の 宮ノ下温泉の老舗外資系ホテル で、創業者の 山口仙之助が底倉の医療体制を支援 した記録は、底倉と宮ノ下の歴史的連携 を示す貴重な事例です。

大正期医院建築の文化的価値

函嶺の現存建物は 大正期の医院建築 として、近代日本の地域医療史を伝える文化的資産です。底倉温泉の入口にあたる位置 で、現在は日帰り入浴施設として営業しています(営業時間・料金は公式サイトで要確認)。


蛇骨川と「蛇の骨」── 底倉の地名と地質的特徴

底倉温泉を象徴する地形が、蛇骨川(じゃこつがわ) です。

「蛇骨川」の名の由来

蛇骨川の特徴は、温泉から析出する白色の無定形珪酸(シリカ) が川底や河岸の岩に堆積し、白い「蛇の骨」のような形状 を形成していることにあります。これが 「蛇骨川」 の名の由来です。

蛇骨渓谷の景観

項目 内容
川名の由来 温泉析出物(無定形珪酸)が 蛇の骨
渓谷の特徴 深い谷・落差大の滝・温泉湧出が連続
太閤の滝 落差10m・幅3m(蛇骨川支流の名瀑)
蛇骨湧泉群 蛇骨川沿いの自然湧出源泉群 ── 底倉温泉の源泉地帯

「底倉」の地名

「底倉」 という地名は、「谷底の湯倉(湯の貯蔵庫)」 を意味すると推察されます。蛇骨川渓谷の 谷底に湧き続ける温泉 が、地名の由来となっていると考えられます。


明治の鉄道整備と1919年宮ノ下駅開業 ── 隠れ湯から日本人向け温泉地へ

明治時代に入ると、底倉温泉は 箱根登山鉄道の整備とともに 段階的にアクセスが向上しました。

段階的な鉄道発展史

出来事
1888年(明治21年) 小田原馬車鉄道 開業(国府津駅前〜湯本)
1900年(明治33年) 湯本までの電化運転開始
1919年(大正8年)6月1日 箱根登山鉄道 箱根湯本〜強羅 全線開業(湯本・塔ノ沢・大平台・宮ノ下・小涌谷・彫刻の森・強羅の7駅同時開業)
1921年(大正10年) 箱根登山鉄道ケーブル線 強羅〜早雲山開業

1919年宮ノ下駅開業の意義

1919年の宮ノ下駅開業(箱根登山鉄道全線開業時に他6駅と同時開業) により、底倉温泉へのアクセスが格段に向上。徒歩約10分の宮ノ下駅 から訪問できるようになり、「日本人向け温泉地」 としての地位を確立しました。一方、外国人客は富士屋ホテルがある宮ノ下に集中 したため、底倉は日本人の隠れ湯 という特化が進みました。


泉質 ── ナトリウム・塩化物泉の弱食塩泉

底倉温泉の泉質は、ナトリウム・塩化物泉(弱食塩泉) が中核です。

泉質の数値スペック(一次情報)

項目 数値
泉質 ナトリウム・塩化物泉(弱食塩泉)
泉源 蛇骨源泉(自然湧出・自家源泉)
記録 文化12年(1812年)資料 ── 「弱食塩泉が大量に湧出」
温度 旅館により幅あり
特徴 自家源泉・「かめ張り」式集湯

ナトリウム・塩化物泉の一般的な効能

温泉法に基づく適応症(一般効能):

  • 筋肉痛・関節痛・腰痛
  • 疲労回復・健康増進
  • 冷え性・末梢循環障害
  • 慢性消化器病

⚠ 温泉の効能は個人差があり、医学的治療を保証するものではありません。持病のある方や妊娠中の方は、入浴前に主治医に相談することを推奨します。

江戸期に「痔疾の名湯」とされた背景

江戸期の番付『諸国温泉功能鑑』で底倉が 痔疾に効能 とされた背景は、ナトリウム・塩化物泉の血行促進作用 に対応していると推測されます。ただし、現代医学的には個人差が大きく、医療的治療の代替にはなりません


アクセス・施設情報

新宿から底倉温泉へのアクセス経路図(小田急ロマンスカー+箱根登山鉄道+徒歩)電車+徒歩(東京から)新宿駅小田急ロマンスカー最速73分箱根登山鉄道約22分🚶 徒歩約10分合計:新宿〜底倉温泉まで約105〜110分/箱根フリーパス(新宿発2日券 7,100円)利用可バスの場合:箱根湯本駅から元箱根方面行きバスで「神社下」下車(徒歩接続)
新宿駅から底倉温泉までのアクセス(小田急ロマンスカー+箱根登山鉄道+徒歩で合計約105〜110分)

基本情報

項目 内容
所在地 神奈川県足柄下郡箱根町底倉240-1
最寄駅 箱根登山鉄道 宮ノ下駅
駅から温泉街 徒歩約10分
バス 箱根湯本駅から元箱根方面行きバスで「神社下」下車
駐車場 各旅館に専用駐車場あり

新宿からのアクセス

ロマンスカー+箱根登山鉄道(推奨)

  • 新宿駅 → 小田急ロマンスカー 最速73分 → 箱根湯本駅
  • 箱根湯本駅 → 箱根登山鉄道(強羅行) 約22分 → 宮ノ下駅
  • 宮ノ下駅 → 徒歩 約10分 → 底倉温泉
  • 合計:約105〜110分
  • 運賃:約 2,470円(特急料金込み)+ 460円(湯本→宮ノ下)

バス(箱根湯本駅から)

  • 箱根湯本駅 → 箱根登山バス(元箱根方面行き) → 「神社下」下車
  • 神社下バス停から徒歩で底倉温泉

車でのアクセス

東名高速 → 厚木IC → 小田原厚木道路 → 箱根口IC → 国道1号経由で約75分(東京から)。底倉温泉街は 蛇骨川渓谷沿いの細い道 のため、運転には注意が必要です。


周辺観光 ─ 太閤石風呂・太閤の滝・蛇骨渓谷遊歩道

底倉温泉に宿泊すると、徒歩圏で歴史散策と渓谷美 が楽しめます。

1. 太閤石風呂

項目 内容
由来 1590年豊臣秀吉小田原攻めの際、将兵が利用した石風呂と伝承
構造 天然の洞窟を利用した蒸気浴(蒸し風呂形式)
現状 入浴不可(遊歩道から観賞のみ)
アクセス 底倉温泉から徒歩・遊歩道経由

2. 太閤の滝

項目 内容
落差 10m
3m
位置 蛇骨川支流・太閤石風呂近接

3. 蛇骨渓谷遊歩道

蛇骨川沿いの 遊歩道 からは、温泉析出物による白い「蛇の骨」状の岩湧泉群 を観察できます。底倉温泉発祥の地理的特徴を体感できる、温泉地理学的にも貴重な散策路 です。

4. 隣接する宮ノ下温泉

宮ノ下温泉は 富士屋ホテル(1878年創業・登録有形文化財)を中心とした外国人観光客向け温泉地で、底倉温泉から 徒歩約15〜20分 で訪問可能です。「日本人の隠れ湯(底倉)と外国人リゾート(宮ノ下)」 の対比体験は、箱根温泉文化の二面性を物語る貴重な散策コースとなります。

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訪問前に知っておきたい注意事項

⚠ 訪問前に確認したいこと

  • 底倉温泉は 箱根七湯の中で最も小規模。現役旅館は 箱根つたや旅館 1軒中心。箱根全体は親記事「箱根温泉ガイド」を参照
  • 太閤石風呂は入浴不可(遊歩道から観賞のみ)。秀吉の伝承遺構として鑑賞推奨
  • 函嶺の日帰り湯は 営業時間・料金 を事前に公式サイトで確認推奨
  • 最寄駅は 箱根登山鉄道 宮ノ下駅。徒歩約10分のため 歩きやすい靴 を推奨
  • 蛇骨渓谷遊歩道は 山道のため健脚者向け。雨後は滑りやすいので注意
  • 底倉温泉街は 蛇骨川渓谷沿いの細い道。車での訪問時は運転に注意
  • 泉質はナトリウム・塩化物泉(弱食塩泉)。つたや旅館は自家源泉「蛇骨源泉」をかめ張り式で供給する伝統的湯

よくある質問(FAQ)

Q1. 底倉温泉は江戸時代の温泉番付に載っていたのですか?
A. はい。江戸時代後期の温泉番付『諸国温泉功能鑑』(嘉永4年版・1851年)東-前頭4段目に 「相州底倉の湯」 として登載されています。箱根七湯の中では湯本(前頭2段目)・塔之沢/宮ノ下/姥子/木賀(前頭3段目)に次ぐ階位で、江戸期に4軒の湯宿 がありました。

Q2. 底倉温泉の最古の記録は何ですか?
A. 1403年(応永10年)の『底倉記』新田義則(南朝武将の子孫)が底倉に潜伏した という記述が最古の記録です。中世以来、蛇骨川渓谷の奥にある「隠れ湯」 として知られていました。

Q3. 1590年豊臣秀吉と底倉温泉の関係は?
A. 1590年(天正18年)の小田原攻めの際、秀吉軍が底倉を夜営地として使用 し、秀吉自ら温泉で将兵を労った と伝えられます。同時に、温泉村保護のため「乱暴狼藉・放火禁止」の禁令 を発布。秀吉軍の将兵が利用したと伝わる 「太閤石風呂」(天然洞窟の蒸気浴)と 「太閤の滝」(落差10m)が現代まで遺構として残っています。

Q4. 江戸期に4軒あった旅館は今どうなっていますか?
A. 1842年「箱根七湯図」記載の 萬屋・梅屋・蔦屋・仙石屋 の4軒のうち、現在も営業を続けるのは蔦屋系の「箱根つたや旅館」1軒のみ です。明治以降に萬屋・梅屋・仙石屋が順次廃業し、箱根七湯の中で最も激しい縮減 を経て、現代の「現役1軒の隠れ湯」というアイデンティティが形成されました。

Q5. 「蛇骨川」の名前の由来は?
A. 温泉から析出する白色の無定形珪酸(シリカ) が川底や河岸の岩に堆積し、白い「蛇の骨」のような形状 を形成していることが名の由来です。蛇骨渓谷遊歩道 からはこの特徴的な景観を観察できます。

Q6. 「かめ張り」とは何ですか?
A. 江戸期から伝わる底倉温泉独自の集湯・供給方式 で、自噴する源泉を石畳内の甕(かめ)に溜めおく 古来の手法です。箱根つたや旅館 では現代もこの伝統的方式を維持し、敷地内の岩盤から自然湧出する「蛇骨源泉」を直接湯船に注いでいます。

Q7. 函嶺(かんれい)はどんな施設ですか?
A. 1890年(明治23年)に沢田武治が蔦屋を購入し、富士屋ホテル創業者・山口仙之助とともに「函嶺医院」として開設 した施設です。現在は 大正期の医院建物を活用した日帰り湯 として営業しています。

Q8. 底倉温泉の泉質は?
A. ナトリウム・塩化物泉(弱食塩泉) です。文化12年(1812年)の資料に「弱食塩泉が大量に湧出」と記録されており、自家源泉「蛇骨源泉」が自然湧出 している点が特徴です。江戸期には 痔疾の名湯 として知られました。

Q9. 太閤石風呂は今でも入れますか?
A. 現在は入浴できません。遊歩道から観賞のみとなっています。1590年の秀吉将兵利用伝承を持つ 天然洞窟の蒸気浴 遺構で、戦国時代の温泉文化を偲ぶ歴史的価値があります。

Q10. 底倉温泉と宮ノ下温泉の違いは?
A. 隣接する 宮ノ下温泉富士屋ホテル(1878年創業)を中心とした 外国人観光客向けリゾート として明治期以降発展しました。一方の 底倉温泉日本人客中心の小規模温泉地 として推移し、「外国人リゾート」と「日本人の隠れ湯」 という対比的な性格を持ちます。両温泉地は徒歩約15〜20分の距離で、箱根温泉文化の二面性 を体感できる隣接温泉地です。


まとめ・関連記事

底倉温泉は、1403年『底倉記』新田義則潜伏記録の中世以来の隠れ湯・1590年豊臣秀吉小田原攻めの夜営地・1842年「箱根七湯図」4軒の湯宿・蛇骨川の白い析出物渓谷・蛇骨源泉のかめ張り式自家源泉宿 という多層的な歴史を持つ、箱根七湯で最も静謐な一軒宿の隠れ湯 です。江戸期から続く 「日本人の隠れ湯」 という性格を、現代の 「現役1軒のつたや旅館」 が継承し、自家源泉・かめ張り式・蛇骨渓谷 という独自の温泉文化が体感できる、首都圏屈指の 「箱根七湯の隠れ家」 です。

本記事は箱根全体の親記事「箱根温泉ガイド」(第2号)から派生する 地区別記事第3弾 として、「底倉特化」 に絞った独自視点で執筆しています。第1弾箱根湯本温泉ガイド・第2弾塔之沢温泉ガイドとあわせて読むと、箱根七湯の最古湯(湯本)・二番湯(塔之沢)・隠れ湯(底倉)の連続性と差異 が体系的に理解できます。今後、箱根の他の温泉地(宮ノ下・芦之湯・木賀・姥子等)も順次派生記事化していく予定です。

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