江戸時代に紹介されている「肥後の阿蘇の湯」の場所とは
2024年でネット検索すると、「肥後の阿蘇の湯」を検索すると、
参照したページでは江戸時代では「阿蘇内牧温泉」と紹介されている。
しかし、「阿蘇内牧温泉」は市の広報誌「よかとよ阿蘇市」2011年3月版で開湯114年と紹介されている。
https://www.city.aso.kumamoto.jp/files/uploads/2014/03/pr201103-10_13.pdf
「阿蘇内牧温泉」は明治30年に温泉が噴出と書かれています。
温泉番付(諸国温泉功能鑑)ができたのは、1790年くらいに紹介されている温泉地なので、
まだ温泉は湧いていなかったと思われます。
となると、「肥後の阿蘇の湯」はどこかとなると、阿蘇山周辺の温泉地を地図にマッピングしてみました。
すると、南阿蘇に開湯は江戸時代前期の開湯となっている温泉地が集中していることがわかりました。
想定になりますが、江戸時代に紹介されている「肥後の阿蘇の湯」は現在の南阿蘇五岳五湯を指しているのはないかと思われます。
南阿蘇までのアクセス
観光する場合は阿蘇山へ行く方が多いのではないかと思います。山頂ヘはバスが出ているので、バスで向かった帰りにどこかの駅で降りるという方が多いのではないかと思います。
直接向かう場合は下に乗せるルートで各地の温泉場所へ向かうことになります。
今後
訪れた際は通常のサイトに記載がある、「阿蘇内牧温泉」を訪れてしまったため、今回記載した温泉地へ再度訪れてレビューしようかと思います。
「阿蘇内牧温泉」は別のページで記載しておこうと思います。