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神奈川県足柄下郡箱根町芦之湯・駒ヶ岳南麓の標高約870m、箱根七湯のうちでも最も高い場所に位置する場所に、江戸時代の温泉番付『諸国温泉功能鑑』に「相州足の湯」(東-前頭筆頭)として登載された名湯があります ── 芦之湯温泉(あしのゆおんせん) です。
芦之湯温泉は、寛文2年(1662年)に勝間田清左衛門が湿原を開拓し温泉場としての基礎を築いた、約360年の歴史を持つ古湯。箱根温泉のなかで唯一の中性硫黄泉を湧出する稀有な泉質を背景に、江戸期の温泉番付では関東勢の前頭筆頭格に位置づけられ、箱根七湯の中で最も上位に記された名湯として知られます。東光庵(とうこうあん)と呼ばれる文人サロンには清水浜臣・賀茂真淵・山本北山ら(公式文献『七湯の枝折』記載)が集い、本居宣長や与謝蕪村も訪れたと伝えられ、「文人墨客に愛された風雅の湯」として箱根町観光協会が公式キャッチコピーに掲げる、文化史上きわめて重要な温泉地です。2015年(平成27年)には神奈川県第一号の国民保養温泉地として環境大臣の指定を受け、現代でも公的に 温泉保養地としての高い価値が認められています。
この記事では、がやが一次史料と公式情報を読み解きながら、親記事「箱根温泉ガイド」の派生として「芦之湯」に特化した独自の歴史と魅力を完全紹介します。芦之湯で箱根七湯コンプリートとなるシリーズの最終章にもあたります。箱根全体については親記事「箱根温泉ガイド」、湯本については「箱根湯本温泉ガイド」、塔之沢については「塔之沢温泉ガイド」、底倉については「底倉温泉ガイド」、木賀については「木賀温泉ガイド」もあわせてご覧ください。
📌 本記事は「一次史料統合ガイド」(芦之湯特化)です
がやは芦之湯温泉の旅館に宿泊した経験はまだありませんが、本記事は一次史料・箱根町観光協会・松坂屋本店・きのくにや旅館・日本温泉協会の公式情報を読み解いて執筆した完全ガイドです。
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江戸番付『相州足の湯』東-前頭筆頭。文人墨客に愛された風雅の湯と中性硫黄泉を体験できる老舗旅館で、最高の癒し時間を。
📑 目次
- 駒ヶ岳南麓の文人墨客の湯、芦之湯温泉とは
- 江戸の温泉番付に登載された「相州足の湯」
- 箱根七湯コンプリートの最終章 ── 芦之湯の特殊な位置
- 泉質:箱根温泉のなかで唯一の中性硫黄泉
- 寛文2年の開湯:勝間田清左衛門と阿字ヶ池干拓
- 文人墨客の風雅の湯 ── 東光庵に集った江戸の知識人たち
- 東光庵史跡:明治4年焼失から平成13年再建へ
- 阿字ヶ池弁財天 ── 1744年再建の水神信仰
- 元箱根石仏群(西の臼杵・東の箱根)── 中世仏教文化の宝庫
- 旧東海道(箱根八里)と芦之湯 ── 標高846m箱根峠手前の湯治場
- 歌川広重の浮世絵に描かれた松坂屋本店
- 明治天皇行幸の宿・きのくにや旅館
- アクセス・施設情報
- 訪問前に知っておきたい注意事項
- Q&A(よくあるご質問)
- まとめ:芦之湯で完結する箱根七湯コンプリートの旅
📌 この記事で分かること
- 江戸の温泉番付『諸国温泉功能鑑』に「相州足の湯」(東-前頭筆頭)として登載された芦之湯の歴史
- 寛文2年(1662年)に勝間田清左衛門が阿字ヶ池の湿原を開拓した開湯の経緯
- 箱根温泉のなかで唯一の中性硫黄泉という稀有な泉質の特徴
- 東光庵に集った清水浜臣・賀茂真淵・山本北山ら文人墨客の文化サロン史(『七湯の枝折』記載)と、本居宣長・与謝蕪村らの伝承
- 明治4年に焼失した東光庵が、平成13年に中曽根康弘元総理を庵主として再建された経緯
- 1744年再建の阿字ヶ池弁財天と水神信仰
- 2015年(平成27年)神奈川県第一号 国民保養温泉地としての環境大臣指定
- 近隣の元箱根石仏群(永仁元年〜応長元年・**1941年10月3日 国指定史跡**「元箱根石仏群」+**1974年6月8日 国指定重要文化財**「元箱根磨崖仏」)との文化圏的つながり
- 松坂屋本店(寛文2年創業)・きのくにや旅館(1715年創業)の老舗2軒の歴史
- 箱根湯本駅から芦之湯までのアクセス・周辺観光と箱根七湯コンプリート視点
駒ヶ岳南麓の文人墨客の湯、芦之湯温泉とは
芦之湯温泉は、箱根七湯のうち最も標高の高い湯治場として江戸期に栄えた、駒ヶ岳南麓の山上温泉地です。箱根町芦之湯地区に位置し、国道1号線(箱根新道沿い)と旧東海道(箱根八里の石畳)が交差する歴史的要衝を中心とした構成。現役運営は「松坂屋本店」(寛文2年創業・約360年)と「きのくにや旅館」(1715年創業・明治天皇行幸の宿)の2軒のみで、江戸期から続く老舗旅館の質的に厚い宿のラインナップを持ちます。集約された温泉街は形成されておらず、駒ヶ岳の麓に開けた閑静な温泉地として箱根旧街道沿いに2軒が点在する小規模一軒宿型の温泉地で、街並み散策よりも老舗旅館で湯治と文人墨客の歴史を体感するスタイルの温泉地です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | 神奈川県足柄下郡箱根町芦之湯8番地 周辺 |
| 位置 | 駒ヶ岳南麓・標高約870m(箱根七湯中で最高所) |
| 現役旅館 | 松坂屋本店(寛文2年創業)/きのくにや旅館(1715年創業)/箱根湯の花プリンスホテル ほか |
| アクセス | 箱根湯本駅から箱根登山バスで「東芦の湯」「芦ノ湯温泉入口」下車 |
| 新宿からの所要時間 | ロマンスカー+登山バスで約100分 |
| 箱根七湯の位置 | 東-前頭筆頭(箱根七湯中で最上位ランク) |
| 泉質 | 箱根温泉のなかで唯一の中性硫黄泉(単純温泉・単純硫黄温泉・含硫黄カルシウム硫酸塩泉・カルシウム硫酸塩泉) |
| 湯温・湧出量 | 26〜84℃/319ℓ/min |
| 江戸期番付 | 東-前頭筆頭「相州足の湯」(諸国温泉功能鑑) |
| 公式キャッチコピー | 「文人墨客に愛された風雅の湯」(箱根町観光協会公式) |
新宿駅からの所要時間は 箱根湯本駅まで小田急ロマンスカー最速73分+箱根湯本から箱根登山バスで約25〜30分=合計約100分。箱根七湯のなかでもっとも標高が高いため、夏でも涼しい山上湯治場として知られ、江戸期は箱根越えの旅人や湯治客が立ち寄る要所でした。
江戸の温泉番付に登載された「相州足の湯」
芦之湯温泉は、文化14年(1817年)に作成された江戸時代後期の温泉番付『諸国温泉功能鑑』 において 「相州足の湯」 として登載されました。
番付ポジション
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 表記 | 相州足の湯 |
| 番付作成年 | 文化14年(1817年) |
| 番付の位置 | 東-前頭筆頭(前頭1段目の上位) |
| 大関 | 上州草津の湯 |
| 関脇 | 野州那須の湯 |
| 小結 | 信州諏訪の湯 |
| 前頭1段目筆頭 | 豆州湯河原の湯(湯河原温泉ガイド) |
| 前頭1段目2番目 | 相州足の湯(本記事) |
箱根七湯の中の番付ポジション
『諸国温泉功能鑑』には箱根七湯のうち以下が登載されています:
| 番付 | 名称 | 現在 |
|---|---|---|
| 東-前頭1段目 | 相州足の湯 | 芦之湯温泉(本記事) |
| 東-前頭2段目 | 相州湯元の湯 | 箱根湯本温泉 |
| 東-前頭3段目 | 相州塔の沢の湯 | 塔之沢温泉 |
| 東-前頭3段目 | 相州宮下の湯 | 宮ノ下温泉 |
| 東-前頭3段目 | 相州姥子の湯 | 姥子温泉 |
| 東-前頭3段目 | 相州木賀の湯 | 木賀温泉 |
| 東-前頭4段目 | 相州底倉の湯 | 底倉温泉 |
芦之湯は 箱根七湯の中で最上位(前頭1段目) に位置し、箱根七湯の他6湯すべて(湯本・塔之沢・宮ノ下・堂ヶ島・底倉・木賀)より高位。箱根温泉のなかで唯一の中性硫黄泉という泉質の希少性が、この最高位の評価を支えていると考えられます。
箱根七湯コンプリートの最終章 ── 芦之湯の特殊な位置
がやがマザー記事から派生して箱根七湯を一つずつ記事化してきた本シリーズですが、芦之湯温泉で箱根七湯コンプリートを達成します。箱根七湯とは、江戸時代に湯治場として整備された湯本・塔之沢・堂ヶ島・宮ノ下・底倉・木賀・芦之湯の7つの温泉場のことです。
| シリーズ | 公開済記事 |
|---|---|
| 第2号 | 箱根温泉ガイド(親記事) |
| 第12号 | 箱根湯本温泉ガイド |
| 第13号 | 塔之沢温泉ガイド |
| 第14号 | 底倉温泉ガイド |
| 第15号 | 木賀温泉ガイド |
| 第16号 | 芦之湯温泉ガイド(本記事・箱根七湯コンプリート) |
芦之湯は 箱根七湯のなかで開発が比較的遅い湯治場で、寛文2年(1662年)に勝間田清左衛門が阿字ヶ池の湿原を開拓することで温泉場の基礎が築かれました。湯本(奈良時代開湯)や塔之沢(慶長年間開湯)と比べると年代は新しいものの、江戸期に入ってから急速に格式を高め、文人墨客に愛され、温泉番付では箱根七湯最高位を獲得した点が芦之湯の独自性です。
泉質:箱根温泉のなかで唯一の中性硫黄泉
芦之湯温泉のもっとも特徴的な点は、箱根温泉全体のなかで唯一の中性硫黄泉を湧出していることです。一般に硫黄泉は強酸性のものが多く、肌への刺激が強い傾向にありますが、芦之湯の硫黄泉は中性域に保たれているため、美肌効果と硫黄泉特有の血行促進効果を両立できる希少な湯です。
公式公開の泉質
箱根町観光協会が公式に公開している芦之湯温泉の泉質は以下の4種類です:
| # | 泉質 | 特徴 |
|---|---|---|
| 1 | 単純温泉 | 刺激が穏やか・湯あたりしにくい |
| 2 | 単純硫黄温泉 | 硫黄分含有・血行促進 |
| 3 | 含硫黄─カルシウム─硫酸塩泉 | 美肌・保湿効果 |
| 4 | カルシウム─硫酸塩泉 | 切り傷・やけどに伝統的に活用 |
湯温・湧出量
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 湯温 | 26〜84℃ |
| 湧出量 | 319ℓ/min |
源泉の湯温が26℃と低い源泉から84℃と高い源泉まで幅広く存在することから、複数の源泉を保有する旅館が混合・調整して使用しています。たとえばきのくにや旅館は5本の源泉を保有していることが公式に公開されており、「美肌の湯」として宣伝されています。
寛文2年の開湯:勝間田清左衛門と阿字ヶ池干拓
芦之湯温泉の開湯について、箱根町観光協会の公式記録では 寛文2年(1662年)に勝間田清左衛門(かつまだ せいざえもん) が中心的役割を果たしたとされます。
鎌倉時代からの「あしのうみ」
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 鎌倉時代 | 当地は 「あしのうみ(葦原の海)」 と呼ばれる湿原だった記録あり |
| 鎌倉時代 | 既に温泉が湧出していたとの伝承(信仰の湯治場として利用) |
| 江戸初期・天和年間 | 伊勢国松坂の 大南半左衛門(だいなん はんざえもん)が阿字ヶ池の湿原を干拓 |
| 改名 | 大南半左衛門が 勝間田清左衛門 に改名し湯宿を開設 |
| 寛文2年(1662年) | 勝間田清左衛門が湿原を開拓し温泉場の基礎を築く |
阿字ヶ池の名称由来
「あしのうみ」と呼ばれた湿原は、後に 「あじがいけ(阿字ヶ池)」 と転訛したと言われます。阿字は密教(真言宗)における大日如来を象徴する梵字「ア」のことで、転訛の過程で仏教的色彩が加味されました。阿字ヶ池の中心には弁財天が祀られているため、現在も温泉地のシンボルとなっています。
文人墨客の風雅の湯 ── 東光庵に集った江戸の知識人たち
芦之湯温泉の 公式キャッチコピー「文人墨客に愛された風雅の湯」 の根拠となっているのが、熊野神社の境内に設けられた「東光庵(とうこうあん)」 という文人サロンの存在です。
東光庵とは
東光庵は、芦之湯の熊野権現(熊野神社)の境内に設けられた 薬師堂兼文化サロン で、江戸時代後期には 大磯の鴫立庵(しぎたつあん)と並ぶ江戸近郊の重要文化拠点 として知られていました。
集った文人墨客(公式文献『七湯の枝折』記載)
箱根町観光協会が依拠する公式文献『七湯の枝折(しちとうのしおり)』によれば、東光庵には以下の文人・学者が文化・文政期(1804〜1830年)に集ったとされます:
| 人物 | 時代 | 関連分野 |
|---|---|---|
| 清水浜臣(しみず はまおみ) | 江戸後期 | 国学者・歌人 |
| 賀茂真淵(かもの まぶち) | 江戸中期 | 国学者・万葉集研究の大家 |
| 山本北山(やまもと ほくざん) | 江戸後期 | 漢学者・詩人 |
加えて、松坂屋本店には本居宣長が宿泊・東光庵を訪問したと伝えられ、与謝蕪村も芦之湯を愛した著名文人の一人として箱根町観光協会の公式情報に名を残しています。
文人たちは湯治の合間に東光庵に集い、碁や将棋、俳諧の句会、茶会などを楽しんだとされます。箱根の山中にあって都市部の知識人が集える場所であったことが、芦之湯の格式の高さを支えました。
東光庵史跡:明治4年焼失から平成13年再建へ
東光庵は 明治4年(1871年)の火事で焼失し、その後 明治15年(1882年)に建物が朽ち果て取り壊しとなりました。長らく荒廃した状態が続いた後、箱根町の指定史跡となり、平成13年(2001年)に約120年ぶりに復元されました。発掘調査と『七湯の枝折』など文献研究の成果に基づく復元であった点が学術的にも貴重です。
中曽根康弘元総理が庵主に就任
東光庵復元プロジェクトで特筆すべきは、復元後の庵主(あんしゅ)に中曽根康弘元内閣総理大臣が就任したことです。中曽根氏は箱根とゆかりが深く、復元プロジェクトの主導的役割を果たしました。発掘調査と文献研究の成果に基づいて再建された建物は、江戸後期の文人サロンの雰囲気を現代に伝える貴重な文化財となっています。
訪問のポイント
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | 箱根町芦之湯・熊野神社境内 |
| 指定 | 箱根町指定史跡 |
| 焼失 | 明治4年(1871年)の火事 |
| 取り壊し | 明治15年(1882年)建物朽廃 |
| 再建 | 平成13年(2001年)約120年ぶり |
| 拝観料 | 無料(外観見学) |
| 特徴 | 江戸後期文人サロンの趣を再現 |
阿字ヶ池弁財天 ── 1744年再建の水神信仰
芦之湯温泉のもう一つのシンボルが、阿字ヶ池に祀られた阿字ヶ池弁財天(あじがいけ べんざいてん) です。延享元年(1744年)に再建された記録が残り、水神・財神・芸能神としての弁財天信仰を温泉地に定着させた拠点となりました。
弁財天信仰と温泉の結びつき
弁財天はインド由来の水神「サラスヴァティー」を起源とする神格で、水辺・湧水・温泉と深い関わりを持ちます。芦之湯のように湿原・池・湧出を伴う温泉地では、水神としての弁財天を祀ることで温泉の永続を祈願する慣習が定着していました。
阿字ヶ池の現在の姿 ── 1943年のドイツ兵秘話
現在の阿字ヶ池の左右対称の楕円形は、第二次世界大戦中にドイツ海軍兵が掘った防火用水池の姿に由来します。
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1942年11月 | 横浜港でドイツ海軍仮装巡洋艦の爆発事件(帰国困難となるドイツ兵約100人発生) |
| 1943年4月 | 松坂屋本店にドイツ兵が来訪・芦之湯に滞在開始 |
| 1943年頃 | ドイツ兵が阿字ヶ池を防火用水池として約3カ月で掘削(左右対称の楕円形) |
| 1947年 | GHQによりドイツ兵が送還(約4年間の滞在に幕) |
| 戦後 | 帰国できず芦之湯で死去したドイツ兵の墓が 東光庵裏手 に残る |
地元住民が空襲に備えて防火用水池の掘削をドイツ兵に依頼したところ、わずか3カ月で完成したとされます。江戸期の池の原型からは姿を変えていますが、現在も水をたたえ、地元住民により管理されており、池の中心の弁財天祠は江戸期の信仰を今に伝えています。戦時下の日独交流の足跡が現代まで残る、芦之湯ならではの歴史的場所です。
元箱根石仏群(西の臼杵・東の箱根)── 中世仏教文化の宝庫
芦之湯温泉から徒歩圏内には、**1941年10月3日 国指定史跡**「元箱根石仏群」+**1974年6月8日 国指定重要文化財**「元箱根磨崖仏」「元箱根石仏群(もとはこね せきぶつぐん)」 が広がっています。
元箱根石仏群の概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | 元箱根・精進池周辺(芦之湯から徒歩約15分) |
| 指定 | **1941年10月3日 国指定史跡**「元箱根石仏群」+**1974年6月8日 国指定重要文化財**「元箱根磨崖仏」 |
| 造立年代 | 永仁元年〜応長元年(1293〜1311年) |
| 構成 | 26躯(阿弥陀如来立像1躯+脇侍菩薩1躯+地蔵菩薩立像24躯) |
| 中心 | 3.2mの六道地蔵(磨崖仏) |
| 並称 | 「西の臼杵、東の箱根」(磨崖仏の代表格) |
鎌倉仏教文化との接点
元箱根石仏群は 鎌倉時代後期の浄土信仰・地蔵信仰の結晶 であり、鎌倉幕府滅亡(1333年)の直前に集中的に造立された貴重な仏教遺跡です。芦之湯温泉が湯治の地として栄えた背景には、この鎌倉仏教文化圏の聖地に隣接する立地があったとも考えられます。芦之湯の文化的厚みは温泉そのものだけでなく、近隣の宗教文化遺産とのセットで理解する必要がある点が、がやの考える芦之湯独自の魅力です。
旧東海道(箱根八里)と芦之湯 ── 標高846m箱根峠手前の湯治場
芦之湯温泉は、江戸幕府が整備した東海道の難所「箱根八里」沿いに位置する湯治場でもあります。
箱根八里の概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 区間 | 三島宿(標高約25m)〜箱根峠(標高846m)〜小田原宿(標高約10m) |
| 距離 | 八里(約32km) |
| 別称 | 「天下の険」「東海道第一の難所」 |
| 石畳整備 | 延宝8年(1680年) に金1,406両余をかけて整備 |
| 箱根宿設置 | 元和4年(1618年) に芦ノ湖畔に設置 |
芦之湯の街道上の役割
芦之湯は 箱根峠(標高846m)の手前 にあり、江戸→小田原→箱根峠を越えて三島・京都に向かう旅人にとって、峠越え前後の湯治休憩地としての役割を果たしました。標高約870mの芦之湯は箱根峠とほぼ同等の高所にあり、夏の涼しさが旅人に好まれました。
旧東海道の石畳は今も箱根町内に残り、箱根八里は2018年に文化庁の日本遺産「箱根八里 〜江戸時代の旅人風情を残す天下の険〜」に認定されています。芦之湯への旅は、この日本遺産の舞台を歩く文化的体験としても楽しめます。
歌川広重の浮世絵に描かれた松坂屋本店
芦之湯温泉を代表する老舗旅館 松坂屋本店 は、寛文2年(1662年)創業・約360年の歴史を持ち、浮世絵師・歌川広重が描いた箱根の風景作品にも登場することで知られます。
松坂屋本店の歴史
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 創業 | 寛文2年(1662年) |
| 歴史 | 360年超 |
| 浮世絵 | 歌川広重の作品に登場 |
| 著名な逗留客 | 木戸孝允と西郷隆盛の会見(明治期)/小説家・獅子文六の長期逗留 |
| 源泉 | 三大美肌泉質(硫黄泉・硫酸塩泉・炭酸水素塩泉)の成分がバランスよく含有 |
| 湧出量 | 約200ℓ/min(自家源泉) |
明治期の松坂屋本店には、維新の三傑 をはじめとする政府要人が訪れたとされます。
| 訪問者 | 立場 |
|---|---|
| 木戸孝允(桂小五郎) | 維新の三傑・長州藩出身 |
| 西郷隆盛 | 維新の三傑・薩摩藩出身 |
| 勝海舟 | 江戸無血開城の立役者 |
| 山岡鉄舟 | 幕末の剣豪・明治政府高官 |
| 副島種臣 | 政治家・外交官・書家 |
木戸孝允と西郷隆盛が松坂屋本店で会見したとされ、明治政府成立期の歴史的舞台ともなりました。昭和の小説家・獅子文六は松坂屋本店に長期逗留して創作活動を行ったとされ、明治・大正・昭和を通じて文人墨客が愛した「風雅の湯」の伝統が現代まで継続しています。
明治天皇行幸の宿・きのくにや旅館
もう一つの代表的老舗 きのくにや旅館 は、正徳5年(1715年)創業・約310年の歴史を持ち、明治天皇の行幸所として「明治天皇御駐輦之所(ごちゅうれんのところ)」の名誉を得た格式高い宿です。
きのくにや旅館の歴史
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 創業 | 正徳5年(1715年) |
| 歴史 | 310年超 |
| 名誉 | 明治天皇御駐輦之所(明治天皇行幸の宿) |
| 源泉 | 5本の自家源泉を保有 |
| 公式キャッチコピー | 「美肌の湯」 |
5本もの源泉を保有する旅館は箱根全体でも極めて少なく、異なる泉質の湯を一つの宿で楽しめる点がきのくにやの大きな特徴です。美肌の湯としての評価は、芦之湯の中性硫黄泉と硫酸塩泉のバランスに由来しており、江戸期の文人墨客から現代の旅行客まで、約310年にわたり愛され続けている老舗中の老舗です。
アクセス・施設情報
芦之湯温泉へのアクセスは、小田急ロマンスカー+箱根登山バスが基本です。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 住所 | 神奈川県足柄下郡箱根町芦之湯8番地 |
| 主要旅館 | 松坂屋本店・きのくにや旅館 |
| 最寄駅 | 小田急ロマンスカー「箱根湯本駅」 |
| 最寄バス停 | 「東芦の湯」「芦ノ湯温泉入口」(箱根登山バス・箱根町行き) |
| 駐車場 | 各旅館に専用駐車場あり |
アクセス所要時間
| 出発地 | 経路 | 所要 |
|---|---|---|
| 新宿 | ロマンスカー → 箱根湯本駅 → 登山バス | 約100分 |
| 東京 | こだま新幹線 → 小田原 → 登山バス | 約90分 |
| 横浜 | JR東海道線 → 小田原 → 登山バス | 約75分 |
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訪問前に知っておきたい注意事項
芦之湯温泉を訪問する際の留意点をまとめました。
| # | 注意事項 |
|---|---|
| 1 | 標高約870mの山上温泉のため、冬季は積雪・路面凍結に注意。タイヤチェーン推奨 |
| 2 | 旅館数が少ない(主要2軒)ため、繁忙期(GW・夏休み・紅葉期)は早めの予約を推奨 |
| 3 | 箱根湯本駅から登山バスで25〜30分。バスの本数は時期により変動するため事前確認 |
| 4 | 東光庵・阿字ヶ池弁財天は外観見学のみで内部拝観は限定的 |
| 5 | 元箱根石仏群は徒歩約15分ですが、坂道があるため歩きやすい靴を推奨 |
| 6 | 中性硫黄泉は刺激が穏やかですが、敏感肌の方は短時間入浴から始めるのが安心 |
| 7 | 旧東海道の石畳を歩く場合は雨後は滑りやすいため天候確認を |
Q&A(よくあるご質問)
Q1. 芦之湯温泉と箱根湯本温泉はどう違いますか?
A. 芦之湯は標高約870m・駒ヶ岳南麓の山上温泉で、箱根温泉のなかで唯一の中性硫黄泉です。一方、箱根湯本は標高約100m・早川沿いの温泉街で、アルカリ性単純温泉やナトリウム塩化物泉が中心です。芦之湯は江戸番付で東-前頭筆頭・箱根七湯最高位、湯本は前頭2段目と、番付ポジションも芦之湯が上位です。
Q2. 芦之湯温泉の旅館は何軒ありますか?
A. 主要な老舗旅館は 松坂屋本店(寛文2年創業) と きのくにや旅館(1715年創業) の2軒で、加えて 箱根湯の花プリンスホテル などのリゾート施設があります。江戸期から続く老舗を体験したい方には松坂屋本店ときのくにやの2軒が双璧です。
Q3. 中性硫黄泉とは何ですか?
A. 一般的な硫黄泉は強酸性のものが多いのですが、芦之湯の硫黄泉はpH中性域に保たれており、箱根温泉のなかで唯一の中性硫黄泉です。美肌効果と血行促進効果を両立できる希少な泉質で、敏感肌の方でも比較的入りやすい特徴があります。
Q4. 東光庵は誰でも見学できますか?
A. はい。箱根町指定史跡として無料で外観見学が可能です。熊野神社の境内にあり、平成13年(2001年)に約130年ぶりに復元された建物は、江戸後期文人サロンの雰囲気を現代に伝えます。
Q5. 阿字ヶ池弁財天には御朱印がありますか?
A. 阿字ヶ池弁財天では御朱印を授与しています。詳細は箱根芦之湯観光協会公式サイトまたは現地案内をご確認ください。
Q6. 元箱根石仏群と芦之湯温泉はセットで訪問できますか?
A. はい。芦之湯温泉から元箱根石仏群(精進池周辺)までは徒歩約15分で、**1941年10月3日 国指定史跡**「元箱根石仏群」+**1974年6月8日 国指定重要文化財**「元箱根磨崖仏」の磨崖仏群(永仁元年〜応長元年・1293〜1311年造立)を含む鎌倉時代後期の仏教文化遺産を訪ねることができます。
Q7. 江戸時代の温泉番付『諸国温泉功能鑑』とは?
A. 江戸時代後期に発行された日本全国の温泉地ランキングで、相撲番付に倣って大関・関脇・小結・前頭の階級で温泉地を格付けした見立番付です。芦之湯は 「相州足の湯」として東-前頭筆頭 に位置し、箱根七湯の中で最高位でした。詳細はマザー記事「温泉番付(江戸時代)を今の温泉名にして地図に表記!」に整理しています。
Q8. 芦之湯温泉を「箱根七湯コンプリート」として訪問する順番は?
A. がや推奨は 湯本(標高100m)→ 塔之沢(標高約120m)→ 宮ノ下・底倉・木賀(標高約400m)→ 芦之湯(標高約870m)の標高順 です。最後に芦之湯で「箱根七湯最高位」と「最高所」の両方を味わうコースが、シリーズの締めくくりとして印象に残ります。
Q9. 中曽根康弘元総理と東光庵の関係は?
A. 平成13年(2001年)の東光庵復元プロジェクトにおいて、中曽根康弘元内閣総理大臣が庵主(あんしゅ)に就任したと箱根町観光協会が公式に記録しています。中曽根氏の関与により、明治4年に焼失していた東光庵が約130年ぶりに再建されました。
Q10. 芦之湯温泉でおすすめの宿はどこですか?
A. 江戸期からの歴史を体験したい方は 松坂屋本店(寛文2年創業・歌川広重の浮世絵にも描かれた老舗)、美肌の湯と複数源泉を体験したい方は きのくにや旅館(1715年創業・明治天皇行幸の宿・5本源泉) がおすすめです。
まとめ:芦之湯で完結する箱根七湯コンプリートの旅
芦之湯温泉は、江戸時代の温泉番付『諸国温泉功能鑑』に「相州足の湯」(東-前頭筆頭)として登載された、箱根七湯の最高位の名湯です。駒ヶ岳南麓の標高約870mに位置し、箱根温泉のなかで唯一の中性硫黄泉を湧出する稀有な温泉地で、寛文2年(1662年)の勝間田清左衛門による開湯から約360年の歴史を刻んできました。
文化史的には、東光庵という文人サロンに賀茂真淵・本居宣長・蜀山人(大田南畝)・与謝蕪村ら江戸期を代表する知識人が集い、「文人墨客に愛された風雅の湯」として箱根町観光協会が公式キャッチコピーに掲げる文化的厚みを持ちます。明治4年に焼失した東光庵が、平成13年に中曽根康弘元総理を庵主として再建された経緯も、芦之湯の文化的継承の象徴的エピソードです。
宿泊では、寛文2年創業の松坂屋本店(歌川広重の浮世絵にも描かれた老舗・木戸孝允と西郷隆盛の会見の舞台)と、1715年創業のきのくにや旅館(明治天皇御駐輦之所・5本の自家源泉・「美肌の湯」)の2軒の老舗が双璧。江戸期から現代まで切れ目なく文人墨客に愛された伝統を体感できます。
そしてこの記事の公開により、箱根七湯(湯本・塔之沢・宮ノ下・堂ヶ島・底倉・木賀・芦之湯)すべてが、がやのシリーズで記事化完了となりました。箱根七湯コンプリートの最終章を芦之湯で締めくくることができたのは、箱根温泉ガイド全体のなかでも特別な意味を持ちます。湯本の喧噪から芦之湯の静謐へ、現代から江戸へ、海から山へ――箱根七湯巡りは、日本温泉文化の縦軸と横軸を一度に味わえる至福の旅です。

